ラドゥ・ジュデ長編二作目。設定自体はこの6年前に製作した監督二作目短編『Alexandra』を踏襲したものとなっており、家族の機能不全を描いているのは前作『The Happiest Girl in the World』から引き継いでいる。主人公のマリウスはバツイチで、5歳になる娘ソフィアは母親オティリアと同居している。娘と過ごせる週末ということで張り切っているマリウスは、自身の両親との大喧嘩を経て元妻オティリアの暮らすアパートにたどり着くが、そこにオティリアの姿はなく、同居している彼女の母親と恋人アウレルは昨晩からソフィアが病気なので家から出すなと言い始める。目の前のソフィアはピンピンしているが、果たして本当なのだろうか?マリウスと過ごさせないための芝居なのではないか?始めは冗談を言って猫撫で声で対応していたマリウスも、妨害的行為に業を煮やして素の想いが剥き出しになっていく。
本作品は上映時間の大半のオティリアの家から出ずに過ごす。ジュデの室内劇『Alexandra』や『A Film for Friends』を撮った Andrei Butica による揺れ動くカメラは、非日常へと転がり落ちるしかなかった男の背中を克明に描写し続け、我々をゆっくりと着実にマリウスの共犯者と仕立てていく。時間を経るごとに銀行強盗に巻き込まれたんじゃないかというくらいの緊迫感が肌で感じられるのが凄まじい。 途中で謎の俳句が登場したりエンディング曲が"黒猫のタンゴ"だったりして、ふと、キリル・セレブレニコフ『Playing the Victim』で主人公がズンドコ節を爆音で聞きながら踊り狂うシーンを思い出してしまった。