櫻イミト

濡れた恍惚の櫻イミトのレビュー・感想・評価

濡れた恍惚(1968年製作の映画)
4.0
フリッツ・ラング監督が「史上最高のエロティック・スリラー」と称賛した一本。鬼才ジェス・フランコ監督が自身のベスト作とする耽美アート作品。原題は「Necronomicon - Geträumte Sünden(死者の書-夢の罪)」。別題「Succubus(夢魔)」。

ポルトガル首都リスボン。ナイトクラブではサディスティックな前衛演劇が行われていた。磔の男女にナイフを突き立て殺人ショウを演じる主役ローナ(ジャニーヌ・レイノー)。拍手を送る観客の中に「彼女は完璧だ」と頷く男ピアスがいた。終演後ローナの部屋を、彼女を劇団にスカウトしたウイリアムが訪れる。やがて眠りにつくと、夢の中でローナは伯爵夫人として海辺の城に向かい、バーで出会った男を連想ゲームをした末に殺害する。翌日ローナは偶然通りかかった葬儀車で死体を目撃。それは夢で殺害した男だった。ドラッグに逃避する彼女は、次第に現実と夢の間で混乱し殺人を繰り返していく。。。

少し難解なアート映画の作りだが解釈は可能であり、映像が面白いので飽きることはない。冒頭のナイトクラブでのエロティック前衛パフォーマンスなど、フランコ監督の全盛期とされる1970年前後の基本スタイルが初めて提示されとても興味深かった。

連想ゲームの中で「ブニュエル、ラング、ゴダール。彼らは常に新しい」との台詞があった。その三人の監督の影響が本作の中でも見て取れ映画解釈のヒントになっている。ちなみにフランコ監督とゴダール監督が共に1930年生であることは記憶しておきたい。

一方、ドラキュラ、オペラの怪人、フランケンシュタイン、半魚人、そしてゴジラ(!)のフィギュアが映し出され「ホラーは好き」との台詞。私の偏愛するものたちが並び、なぜ自分がフランコ監督に魅かれたのかが解き明かされたように思えた。

本作を自分なりに解釈すれば、分裂症気質の主人公が薬物と酒により意識下に眠っていたサディスティック女王の才能を無自覚の内に露わにしていくが、実はそれをコントロールし彼女の殺人を楽しんでいたのは二人の悪魔的な快楽主義者だった、という物語である。海外サイトを調べても“意味不明”との声ばかりだが、マルキ・ド・サドの快楽主義を結びつければ意外とシンプルな作りだと思う。初期アラン・レネ監督やストローブ=ユイレ監督コンビあたりの説明性を排除したインテリ気取りとは一線を画している。

ブニュエル監督の白昼夢的シュルレアリズム、ラング監督「マブゼ博士」の目力、ゴダール監督の映像ノリ至上主義をミックスし、「血とバラ」(1961)の耽美な古城怪奇、ジョルジュ・フランジュ監督のキッチュなマネキン耽美を引用した、フランコ監督の趣味全開な作品と言える。

主演のヨアンナ・レノー(日本語別表記ジャニーヌ・レイノー)はフランコ監督の最初のミューズとして知られ、当時監督が手掛けたセクシーアクション「レッド・リップス」シリーズに主演。「薔薇の葬列」(1969)のピーターを連想させる当時アヴァンギャルドなミステリアスなルックスだが、個人的には二代目ミューズのソレッド・ミランダの方が好み。

フランコ監督が初期ゴシック猟奇ホラーを経て、第二次全盛期の幕開けを飾った注目すべき傑作。

※本作を観て、フランコ監督(1935生まれ)はデヴィッド・リンチ監督(1946生まれ)と重なる要素が多い事に気付いた。影響を受けているのか趣味が似ているのかそのうち調べてみたい。
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