松浦義英

ジャンゴ&ジャンゴ: コルブッチとマカロニ西部劇のレガシーの松浦義英のレビュー・感想・評価

3.5
22.11.21:Netflix。

マカロニウエスタンマニアで映画大好きのクエンティンタランティーノが
セルジオコルブッチの西部劇とその周辺を語り尽くす最高のドキュメンタリー。
…『ワンスアポンアタイムインハリウッド』、通常版じゃなくてエクステンデッドカット版をわざわざ劇場に観に行ったものとして見逃せなかった。

レオナルドディカプリオ演じる売れない俳優のリックダルトン、アルパチーノ演じるエージェントのマーヴィンシュワーズのお話から幕開け。
セルジオコルブッチ監督作『ネブラスカジム』への出演オファー→リックダルトンは快諾
→コルブッチに会う前にマーヴィンがセルジオレオーネの『荒野の用心棒』を「マカロニウエスタン研究だ」と見せる
→コルブッチに合ったダルトンはコルブッチを同じセルジオだからとレオーネと勘違いした。
…というエピソードが語られる。もう既に面白すぎる。

アルパチーノが「マカロニウエスタン界、二番目に優秀な監督だ」って言ったの劇場でも笑ったもんね(笑)
一番はセルジオレオーネなのは言わずもがななんだけど、このセリフをキーにしてコルブッチからマカロニウエスタンを紐解いていくという面白い構成。
…タランティーノが『ワンスアポンアタイムインハリウッド』のビハインドストーリーを交えながらマカロニウエスタンを語っていくんだけれど、
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』のイメージボードが映ってどこからどう見てもコルブッチな男が描かれているのが面白い。
ブルースリーにシャロンテートを出してフィクションとノンフィクションを本当に上手く混ぜたおとぎ話だったんだから
コルブッチも多分出せたんだろうなとは想像できるよね(笑)

リックダルトンはセルジオルブッチと会うけれど、エージェントのマーヴィンのせいでレオーネと勘違いして出演が叶わない。
でも、実際レオーネとコルブッチは友達だったそうなので、実際は出れたのかも?ってIFで考えると面白いよね。
…そういえばリックダルトンのモデルはバートレイノルズと言われているけれど、違うと思ってて。
俺はリックダルトンのモデルはクリントイーストウッドで、
『ローハイド』出演の彼の絶頂とIFとしてのどん底ストーリーだと思っている。
その方が『むかしむかし…ハリウッドで』らしいと思うからさ(笑)
それに本作でもコルブッチに言及している場面で流れている音楽は『殺しが静かにやって来る』のメインテーマ。
これはセルジオレオーネと同級生のエンニオモリコーネの音楽。
(11/5にエンニオモリコーネコンサートに東京に行ったけど、第二部でこれのオーケストレーション聴きたかったなあ…雪原をこんなに綺麗に表している曲なかなかないですよ…!)
さらにクリントイーストウッドはリックダルトンと同じくアメリカ西部劇番組で名を馳せて…イタリアに渡って映画初主演で当ててるからね。
…もっともっと言うならば、「彼には理解不能で狂っていると思ったんだ。
『テレビより酷い現場があるとはね』。バラバラに各自の言語を喋ることは彼には馬鹿げてた」って話。
イーストウッドは馬鹿にはしてないけど、多言語が飛び交う現場で言語コミュニケーションが使えなくて衝撃を受けたっていうのは有名な話だからね。
(バートレイノルズの人気の下降具合とクリントイーストウッドの人気の安定っぷりを考えると、ダルトンはレイノルズなんだろうけどさ…)

そしてオープニング映像はローマを疾走する旧型フィアット500。
ルパン三世とクリントイーストウッド繋がりから映画を追いかけるようになった俺としては素晴らしいオープニング。
(当ドキュメンタリーの制作陣がそこまで意識したかはわからないけれど、意識していたとすればここまで俺にドンピシャなドキュメンタリーもなかなかないですよ。
ということから考えても、やっぱりリックダルトンのモデルは実際の所クリントイーストウッドだと思うんですよね)
そこに重なるマカロニウエスタンのポスターたち。テレンスヒル、フランコネロ、ジュリアーノジェンマ、リーヴァンクリーフ、アンソニーステファン、
クリントイーストウッド…この中で今でも現役なイーストウッドはやはり凄すぎるんだよな。

タランティーノの分析によると、コルブッチの映画(のテーマ)は『全てはファシズムだった』と。
これを聞いた時、膝を打ったよね。
レオーネにはなくてコルブッチには最初からむんむんだった映画的気持ち悪さ…その正体は確かにファシズムだった。
彼の映画には極悪非道な人物が出てきて無慈悲に人を暴力で徹底的に虐殺する。
『ガンマン大連合』では軍人達そのまま、『黄金の棺』では父親、『続荒野の用心棒』では赤いKKKと宿敵、
『殺しが静かにやって来る』では無法者集団というように。結末もなんだかファシズム的。
彼らの暴力はたしかにファシズム的な、恐怖と残酷座があるなと。
…コルブッチの父親はファシスト党員だったけれど制服を脱げば反ファシストだったというお話。
『殺しが静かにやって来る』ではプラスベトナムを侵略するアメリカ、だと。
今の日本の政党の力関係にも多分当てはまるんだなあと思ってみれば、政権運営に疑問を持たず右向け右をしてる人ってやっぱり愚民なのかなと思ったりもする。
そういう思いを芸術に乗せて、間接的に焙り出す…多面的なものになっている。好きなんだよなあ。
労働者階級を観客に想定した映画をブルジョアジーが観て感銘を受けたり、その逆があったり、自分の立場をちゃんと理解するって大事だよね。
得れるものが自覚があるかないかで全然違うんだから。映画以外でもね。

レオーネとコルブッチは友達だったお話。
レオーネはフィルモグラフィ全体でおとぎ話や神話的映画を作っていたけど、コルブッチはどちらかというと泥臭い血なまぐさい残酷な映画を作った。
力を最後には剥奪する。でもそれは生を余計に際立たせる…。そしてギリギリのところで…。
そういう意味ではマカロニウエスタンの真の巨匠はコルブッチだと思うんですよ。
『続荒野の用心棒』の泥臭さを始めて観た時にそう思ったよね。
「殴り合いが好き」「暴力が好き」と答える子供のインタビューが出てくるけれど、それは痛みを知らないからなんだよね。
矢沢永吉の自伝で言う「いじめっ子が空手道場で無双できると思ってたらボコボコにされて"痛み"を知って暴力を振るわなくなった」だよね。
そういう意味ではバイオレンス映画っていうのは必要悪なんだと思うんですよね。
人間には善と悪があるんだからね。

映画評論友達→脚本家へ→監督の手伝い→監督。
という図式が当てはまるわけだから、こうやってFilmarksで独自の講釈を述べてる俺も映画業界に入れるのかななんて期待しちゃうよね。
評論を述べる延長に、脚本はあると思うしね。

「レオーネが悪役の衣装を華やかにしコルブッチは更に極めた」っていうタランティーノの分析は凄いと思った。
コルブッチ作品って衣装が本気なんだよ、見やすいしカッコいいんだ。

レオーネも『荒野の用心棒』から暴力描写や死体描写はやっていて、『夕日のギャングたち』では民族虐殺、大量殺戮も取り入れる。
でもコルブッチに比べると生々しさはまったくないんだよね
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タランティーノにイーストウッドのウエスタンを深掘りしてほしいなあ。
『奴らを高く吊るせ!』『荒野のストレンジャー』『真昼の死闘』『ペイルライダー』『許されざる者』。
…番外編の『ブロンコビリー』『クライマッチョ』。

『続荒野の用心棒』のメルセデスは黒人兵士の嫁説、みたいに楽しく深く解説してほしい。
松浦義英

松浦義英