「裁かれるのは私じゃない、彼らよ」
家族が全員去ってしまい、幼い頃からたった一人で、湿地の自然の中で生きてきたカイア。
ある青年の殺人容疑で裁判にかけられることになり、陪審員への印象を懸念した弁護士のアドバイスに対して、カイアが放ったこの言葉を聞いて、
私は、ああそうか、と、この映画が伝えたいことを理解した。
社会の中で虐げられてきた人を裁くとき、どういった判断を下すのか、偏見を持たずに生きられているか、人として裁かれているのは実は陪審員である虐げてきた側なのだと。
しかし、物語の裏側を知ったとき、分かりきったつもりになっていた自分の浅はかさを思い知る。
湿地の自然について、熱心に語るカイアの言葉にこそ、彼女自身が表れていたのだ。
「自然に善悪はないのかも」