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海軍特別年少兵のsowhatのレビュー・感想・評価

海軍特別年少兵(1972年製作の映画)
4.0
【自ら進んで志願兵となり玉砕に散った子供たち】

17歳になればみんな徴兵検査を受けさせられ、徴兵される運命の当時の若者たち。14、15歳で自ら志願するのが海軍特別年少兵制度です。本来三年間の基礎教育の後に、さらに海軍兵学校で訓練し技術幹部に養成する計画だったといいます。しかし実際には、戦局の悪化に伴い、特年兵の多くは1年少々の基礎教育のみで前線へ送られていきました。4年間で約1万7000人が入隊し、5000人余りが戦死したとされています。

本作は年少兵たちの入隊の背景から硫黄島での玉砕までを描きます。彼らは少年の身でありながら、なぜ志願入隊したのか。飯、給料、家族への愛と反発、教師にすすめられて、仲間、名誉、愛国心、海軍への憧れ…。その理由が登場人物一人一人の背景とともに、丁寧に描かれます。入隊の理由はそれぞれですが、みんな何かしらの鬱屈を抱えているようです。

分隊長は父、教官は母、教班長は兄。教育部隊は疑似家族であり、一人ひとりの失敗や怠慢は当然連帯責任です。「飯抜き」「精神注入棒のケツバット」。集団生活の中の厳しい統制と体罰が、班の結束を固めます。

帝国大学卒のエリート、先任教官・吉永中尉(佐々木勝彦)は理想主義者であり、教育に必要なのは「愛」であると主張し、体罰教育を否定します。それに対し、叩き上げの第一教班長・工藤上等兵曹(地井武男)は体罰を容認し対立します。班の中から自殺者を出した工藤教班長は前線への転属を願い出て、部隊を去ります。激戦の地、硫黄島で教え子たちと工藤教班長は再会を果たします。

特年兵たちに捕虜となって生き延びるよう指示する吉永中尉。子供扱いせず、軍人としてともに死なせてやろうと主張する工藤教班長。壊滅状態の日本軍の玉砕目的の総攻撃が迫る中、吉永中尉と工藤教班長の対立が再燃します。特年兵たちは吉永中尉の指示に従うことなく、敵に突撃し玉砕していきます。工藤教班長も、彼らと行動を共にし、映画は幕をおろします。

本来、被扶養の身であり肩身の狭い孤独な少年たち。彼らは軍隊に入ることで仲間や理解者を得て、命を失いました。

本作には二人の「はみ出し者」が出てきます。まず、父母のいない特年兵、橋本の姉である娼妓の女(小川真由美)。彼女には軍国主義も世間体も通用しません。もう一人は男手一つで息子を育てた床屋の親父、宮本吾市(三國連太郎)。彼は軍国主義も国も信用していません。かつては「赤」と決めつけられ警察に拷問を受けた過去を持つ男です。彼は自分の考えを上手く言葉で説明できず、そんな父を息子は「非国民」であり、疎ましく、恥ずかしく思っています。父の恥をそそぐことが彼の入隊動機の一つです。床屋の親父がいいたかったことはなんなのか。

大帝国の建設という民族の夢。
純真な少年たちの熱狂と悲惨。
利用され続ける弱い立場の者たち。

世界史の中で何度も何度も繰り広げられてきた同じ構図が大東亜戦争の日本軍にも当てはまる。そういう大局観を、親父は持っていたのかも知れません。視野の狭い子供には理解できなかったでしょうが。

戦後78年を迎えた現在。今の子供達は特年兵たちと比べ、幸せになったのか。もちろん玉砕することはありませんが、いじめ、虐待など、彼らはまた違った困難に直面しています。精神注入棒で殴られることはなくなりましたが、先生に盗撮されたり性的虐待に遭う子供がいます。令和元年の15~19歳の死因の1位は自殺(48%)。 10~14歳では「悪性新生物」(23%)についで自殺が2位(21%)。特年兵や吉永中尉、工藤教班長がこの現状を見たら、果たして何というでしょうか。
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