睡眠

ここ以外のどこかへの睡眠のネタバレレビュー・内容・結末

ここ以外のどこかへ(2021年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

忍び寄る社会から、この果てしない地獄から、逃げることはできるのか?

この映画で特徴的な「社会」は2つある。
1つは、対話が不可能な親との間の、親子関係という社会。両家庭は、経済面での依存関係が対照的ではあったが(ひかる=依存、みおな=被依存)、対等なコミュニケーションが不可能であるという点では共通していた。
もう1つは、コロナ禍であるという特殊な社会。これは、感染者数などを告げるニュースが流れることなどによって、家庭にも職場にも忍び込んでくる。いかなる行為にも「コロナ禍の社会である」と注意書きが入り込むような、特殊な状況が(現実にも)あった。
そして、この映画の中では(あるいは現実でも)、コロナ禍という社会は、家族という社会の社会性を強化する形で機能していた。

これら2つの社会には、逃げる余地を残さない、拘束力の強さがある。血縁関係という呪縛、規範意識という呪縛。殊に主人公の二人に対しては、経済的な余裕のなさと経済的な依存関係が作用し、さらに恐ろしい効力を持つこととなった。
そしてまた同時に、この相乗効果によって社会が明確に牙を剥いたことこそが、夜の散歩へと駆り立てる直接の動機となった。
ここにいてはならない、どこかへ行かなければ、ここ以外のどこかへ……


ひかるは支配関係からの決死の逃亡により、みおなは失望の中で「ただ在ること」すら許さない男たちからの逃亡により、それぞれが社会の外へと加速し、ここで運命的な出会いを果たした。

さて、二人は、実際に逃亡を果たすことができたのだろうか。
夜の街を歩く時間の中で、これは達成されていたと言える。家族への違和感は二人を繋ぎ、コロナ禍という状況はその他の人々を街から追い払い、この世界に二人だけのユートピアを生み出した。
しかし、散歩そのものはあくまで身体の逃亡であり、その逃亡には限界があった。そしてこのことは本人たちもよく自覚していた。
散歩を始めたあたりから、私は不安で仕方なかった。二人の時間に終わりが来ることは目に見えている。結局は、地獄からの束の間の逃亡に過ぎないのではないか、そして、ユートピアを経験した二人にとって現実はよりいっそう地獄となるのではないか。


しかし、二人は逃亡の中で、忍び寄る社会に対する、逃亡とは別の対処を行っていた。それは、二人を強く規定する例の社会からは独立した形で、何かを志向することであった。
夢を見ることは二人にとって、自分を拘束する果てしない社会への微かな反発であり、自分であることを侵害し続ける社会に対して「自分である」ことを示す試みであった。

この試みは、身体が再び社会に引き戻されてからも引き継がれる、だからあの散歩は「束の間の逃亡」以上の意味を持つ。

社会への抵抗、自分であるための志向、これらはそれぞれの親の前で、恨み・毒を内包しながら現出しているように見受けられた。
ラストシーン、みおなの母親との電話は、母親に対する密やかな復讐であった。母親にも気付かれない形で、みおなは恨みを込め、静かに呪いをかけた。
一方のひかるもまた、母親への穏やかな恨みが、本人すら気付かない形で現れていた(ように見える)。嫌いだからではなく好きだから、という母親への言葉は、言葉の意図とは裏腹に、おそらくは母親を葛藤へと導く呪いとなっていた。母の「愛」への応答、そこに含まれる静かな恨み、歪んだ親子関係にもたらされた数滴の毒。
ひかるが母親に訴えかける時の顔が、目に焼き付いて離れない。映画の中でも特に印象に残っている。ただ伝えたいというだけの、あまりにも純粋な顔は、その純粋さ故に、母親への呪いとなっていたのではないだろうか。
きっとひかるの母親は幾分か反省したものの、また無自覚な加害を繰り返すだろう。だが母親は、再びひかるの顔を目の当たりにする、現実の中で、あるいは記憶の中で。ここに、社会が手を緩める瞬間があり、ひかるにとっての希望がある。

恨みや毒は、彼女たちがあの環境の中で「自分として」生きていくのに必要不可欠なものだった。


社会から逃げ切ることはできないが、自分が自分であるための志向を持ち、己を侵害する社会を呪いながら、社会の中で生き続けることはできる。そして、これを可能にしたのが、束の間の逃亡であり、対話が可能な、二人だけのユートピアの存在だった。



以上のような形で、この映画における希望が提示されていたのではないかと思う。
どこまでも絡みついてくる社会の中で、私が「私である」にはどのようにすればいいのか、という問いに対して、リアリティのある応答がなされていた。一筋縄ではいかないが、それでも確実に社会の中で生きていくことはできるのだと、強く感じることができる映画だった。
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