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逃げ去る恋 4Kデジタルリマスター版のLudovicoMedのレビュー・感想・評価

3.9
《トリュフォー版6才のボクが、大人になるまで。最終話》

トリュフォーの自伝エピソードを散りばめたアントワーヌドワネルをジャンピエールレオに演じ続けさせ、なおかつ2人にとっては映画人生の出発点でもあったこのシリーズも20年続きました。監督自身の分身を二人三脚で映画内に生きさせるプロットはレオスカラックス×ドニラヴァンのコンビを彷彿したりするが極めて珍しい企画にふさわしいと言えるほど野心的なフィナーレとなっていた。

なんたって前四作のフッテージをかなりの長尺流し回想で経緯を説明してくれる親切設計となってるだけじゃなく、淡い思い出として塗りたぐられる効果が現在進行形の恋と絡まり絶大に紡がれてしまう。こんな回想の走馬灯は映画を壊しかねないヘンテコな造りで物珍しい一方、ドワネルが"再会"を繰り広げるストーリーにおいて切実さを捉える章という意味ではアリに思えた。
特筆すべきはドワネルが自らの恋愛遍歴を私小説にし出版されている設定だ。アントワーヌドワネル最後の映画で、彼は人生を振り返り執筆する。その行為が映画監督として自伝を撮るトリュフォーに追いつくというメタ的な目配せは『8 1/2』式二重構造を否応が無しに彷彿とするでしょう。

朝から激しいエッチをする場面。相手はまたしても新たな恋人サビーヌでありドワネルは元奥さんクリスティーヌとの離婚調停でドロドロしていた。向こうに引き取られる予定の息子を駅へ見送りにいったそこで、かつての恋人コレットを見かける。このホームと電車を使った見送る行為〜バッタリ再会の感情の駆け引きが素晴らしく進行する電車と逆路線の電車を切り返しで映し、もどかしさを募る。間に合わない、と勢いで駆け込み乗車するアクションがおかしくもあるチャーミングな場面に仕上がっていた。コレットとの会話劇ではあの頃から成長した彼女と全く大人になれてないドワネルを大量の回想から仄めかし、それが原因であえなく喧嘩別れする。

本作は複数の女性絡みが挿話し、どことヨリを戻すか?いや女にダラシないドワネルに一途な純愛など不可能ではないか?と恋愛遍歴を自問自答するようなテーマとなる。ここまでくると流石にトリュフォーの反映は疑わしく思えるが、むしろドワネルは"家族"という体裁に強烈な憧れを抱きそれが結婚願望となるが惚れっぽい体質もある。その割り切りが不器用でいつも上手くいかない。みたいな恋の病いがこの年齢まで引きずっていると興味深い恋愛映画に思えます。

またドワネルの母が不倫してた相手も登場し、共に母の墓参りするくだりがある。かつて判ってくれなかった大人に慰められるドワネルがふと「もっと大きい人だと思ってたよ」と漏らすと「あの頃の君が小さかったんだよ」こういう瞬間こそにこのシリーズの魅力が詰まってるなぁと感慨深くなる。
中でもサビーヌとの出会いを振り返るエピソードはとびきりロマンティックなもので。電話ボックスで口論する男が写真を破り捨て出てくる。一部始終を聞いたドワネルは男女問題だと勘付きおもむろに写真を拾い集め貼り付けてみると、あまりに美しい女性の姿に心を奪われる。裏には住所らしきメモがあり、どこの誰かも分からないが居ても立っても居られなくなる。ファムファタールに心奪われるようなストーカー衝動だがシチュエーションが完璧すぎた。

大したことはもう起こらず回想織り交ぜた特異な点、食後のデザート感ある作品だったが、物凄く旨いデザートで満足いきました。
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