ビョーキノオタク

CUBEのビョーキノオタクのレビュー・感想・評価

CUBE(1997年製作の映画)
4.0
(キューブ2やキューブゼロは観ていない者の考察です)

物語の構造は、「主人公が介入しなかった場合」などの「もしも〜だったら」を考えると、深みが増すらしい。

もしもクエンティンがワースを挑発していなかったら…
ワースはずっと秘密を打ち明けられないままで、キューブの全体像が掴めないままだっただろう。

もしもハロウェイがカザンの味方をしなかったら…
カザンはお荷物として早々に見殺しにされ、脱出の希望さえ見つからなかっただろう。

もしもレンが居なかったら…
ワナが怖くて初動の動きさえ取れず、レブンが数字のヒントにも気付くこともなかっただろう。

考えてみるとこの映画、誰一人欠けても脱出ができないように出来ていた。


そう考えると集められたメンバーはやはり偶然ではなく、なにかしらの意図があって集められたように思える。

作中で言われるように、軍産複合体もしくはただの金持ちの道楽で造られたか。

しかし最後までキューブが作られた目的や集められたメンバーの人選基準については謎のままなので、想像の域を出ない。

これも作中で言われているが、私たちも集団の中で何かを担う時、「目の前にある問題点だけ」、もうすこし広く視野を持ったとしても「その集団の中での自分の担当の意味・目的」までしか把握しないだろう。
会社員として働く時、「自分は会社の●●の仕事を担当している」までは把握しても、「自分の所属している会社が世間にどういった影響を与えているか」までを数値的に把握しながら仕事をする人はまず居ないと思う。
キューブも、制作に関わった誰一人全体像を把握しないまま完成してしまった。
「いったん動き始めると何がなんだか分からない」世の中の象徴として、キューブは存在する。


また、脱出間近となった時、ワースは「外に出ても待っているのは、終わりのない人間の愚かさだ」と言い、脱出の意思を失っていた。
作中でも登場人物たちが何度も考え方の違いで衝突をしていた。

キューブはこの世の縮図。
キューブの中で起きていた人間関係が際限なく続くのがこの世。

しかし初めにも述べたように、この映画の登場人物は誰一人欠けてもいけなかった。
逆に、登場人物たちが協力しあうことができれば、特技・人間性を活かして全員が脱出することもできたかもしれない。

映画冒頭でのレブンは、なんの目的もなく大学に通う、怠惰な生活をしていることを告白していたが、ワースの「この世は生きるに値しない」の発言を聞いてなお、外の世界で生きたいと発言していたことから、人の可能性に賭けてみようという意志が感じ取れる。


〜〜〜〜〜〜〜

中学生の時に観て、それまでテレビでやってるようなエンタメ映画しか知らなかったクソガキにトラウマを植え付けた映画。
ひっさびさに観たけど、閉塞感から来る嫌〜な気にさせるのがめちゃくちゃ上手い。
普通、登場人物たちの身の上話とかは、映像をつけると思うんだけど、マジで会話だけで済ますのね。
外の景色がまったく出てこないのといい、観た後にめちゃくちゃ気持ちが落ち込んで精神衛生上よくない。
いや、それがこの映画の魅力なんだけど(笑)