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EO イーオーのharunomaのレビュー・感想・評価

EO イーオー(2022年製作の映画)
2.1
ピート、あるいはそして、白い馬は行く。
あの鳴き声やガラスの棚を倒す暴動やらがあったとしても、この映画は信仰はエロいブレッソンのリメイクではない(倒れてなお、引き画で呼吸で肺が膨らむバルタザールのラストから繋げて蘇るロバとするなら、それはそれで一興)、むしろエッセンシャル・キリングのヴィンセント・ギャロをロバに置き換えたセルフに近い。しかしどんなに完璧な超クロースアップでロバの瞳を捉えたとしても、それはどこまでも片目の物体であり、鏡であり、ガラス玉であって、あのギャロの感情を端的に示す瞳ではやはりない。
映画はサイレント映画に違いない。
明滅する赤い光と闇の中で映写機の間欠運動そのままに、イメージは不分明ではない本来の正確さで、プリミティブな想起を付与する。
はっきり言ってなんでも撮れる、手持ちの広角かつ深度の浅い接写やら自由に空を飛んだり、もはやカット割りなど不要なデジタルの持続。果たして恐れもしないレヴェナントのルベツキ・アプリとどう違うのか、やはり不可解だ。
ドラマがないに尽きる。脱走、捕獲、移動=移送の繰り返し。サーカスの女性でもいいが一人最後まで連れ立つ者は必要で、一人だけ肌の美肌エフェクトがやり過ぎのユペールのエピソードなど意味不明。

デジタルにおけるイメージの豊かさとは何か。壮大で不気味な自然の神秘さ(小川が流れる狩人の夜並の真夜中の森のシーンがハイライトで、立ち去る瞬間の狼の舐めやら良かった。その後の洞窟の闇からタングステンのトンネルの追っかけはいいとして、CGのコオモリはいただけない)なるものと音楽の質も相まって、やはり悪い時のロウリー、ドローンの赤い森などグリーン・ナイトそっくりであって押し付けがましい。スコリモフスキはソニマージュをやっていない、単に音楽を掛けているだけで(馬やロバの荒い息づかいは面白いが、素材を入れ込むだけ)『リズと青い鳥』の音響的自由はここにはまったくない。
スコリモにしては愕然とするくらいショットの野蛮さ(大胆なんて言うのはバカ)がなく、適当にミニマムに洗練されてしまっている。

人間はたんに、他の能力と並んで、言語の能力をも所有する生き物であるだけではない。
むしろ言葉は、存在の家であり、そこにおいて人間は、そこに住みつつ、存在の真理を守りつつ、存在の真理に属するという仕方で、脱自的に - 実存する〔ek-siste〕。

P93(J・デリダによる翻訳)『「ヒューマニズム」について』58頁
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