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EO イーオーのKEKEKEのレビュー・感想・評価

EO イーオー(2022年製作の映画)
5.0
- 実際のところロバが白馬に憧れることもなければ、虐げられている動物に悲哀の感情を向けることもないだろう(というところから初めていいんだろうか、この作品は私がまだ知らない視線で動物に寄り添っているような気もする)
- イーオーから私たちが感じ取る感情のような何かは、その実映像に幾重にも張り巡らされた演出の作為そのものである
- この映画が風景をありのまま映したドキュメンタリーを志向しているわけもなく、むしろカメラと編集による確信犯的な暴力で何かを告発しようとする作品であることは明白だ
- 関係ないけど物語構造がほぼ『ボー』と同じだった

- イーオーはただこちらを通り過ぎる風景として見ている、彼はただ過去を目指して走り続けている
- カメラが切り出すのは、黒い瞳の無垢が鏡のように写す人類のカルマと、その残酷な現実に巻き取られながら終える彼の一生だ
- ロバを物語の中心に据えることで普段地球を占領している人間を一瞬でも周縁に追いやり、イーオーの迂遠なる放浪の道のりによって人間の性質をじっくりと浮かび上がらせることに成功している

- 鳥瞰による風力発電の風車シーンと死に直面したイーオーの視点が四足歩行ロボットと入れ替わるシーンがすごく好きだった
- つまりこれはテクノロジー(カメラ)が代替する生命の可能性の提示と、その不可能性の強調である
- 鳥の視点もロバの視点も同様に、見たままの景色を映像に映し出すことは不可能で、この映画も鳥の視点をドローンに、ロバの視点を(こちらは必ずしもそうである必要はないが)四足歩行ロボットに取り付けたカメラに置き換えることで成立している
- 他人ましてや他種族と景色を共有できないことは自明であり、その事実をコンセンサスとして私たちは言葉のわからない動物たちを殺し食糧として生活している
- この映画が告発するものがどこまでを指し示しているのか私はまだわからない、ひとまずは広く視線の代替不可能性に拠る暴力の肯定へのアンチテーゼだと受け取った(ベジタリアンによる告発として受け止める準備ができていない)
- この映画ではただイーオーの絶え間ない運動があり、それは決して当事者が望んだように進むものではない
- その姿は正に人間が踠く生の有様そのものであり、私たちとイーオーが本質的に背中合わせの存在であることをまざまざと映し出すものだった
- 生を裏返せば死になるのか否か

- 音楽の使い方が面白かった
- 美しい風景と登場人物たちの切り取り方にノマドランドを思い出すのだけど、こちらの方が圧倒的に好みで、暴力装置としてのカメラに自覚的な点で巨匠の圧を感じた
- 今日寒いしなんか鬱なんだけど、萎んだ精神に栄養を補給してくれるような癒し?のアニマルムービーが観れて良かった
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