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別れる決心のJFQのネタバレレビュー・内容・結末

別れる決心(2022年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます



サムネから、たゆたう川のような「大人のメロドラマ」を想像したが、そこに展開していたのは氾濫する映像の大洪水とでも言うべきものだった。

パク・チャヌク監督の得意技である「グロ映像&インパクト」で押してくる感じは減った。その点では「成熟」といえるかもしれない。

けれど、言葉で切り取った現実、写真で切り取った現実、音声で切り取った現実、監視カメラで切り取った現実、スマートウォッチで切り取った現実、想像で切り取った現実…

いくつもの現実が押し寄せ、観ているこちらの脳がオーバーヒートしそうになる。その意味では未だ「狂暴」。「成熟と狂暴の共存」がここにある。「成熟したからってヌルくなると思うなよ!」と(笑)

いや、ストーリー自体は整理すればさほどの「ミステリー」でもないのかもしれない。ようは、主人公の刑事(パク・ヘイル)が、2つの事件に関し、ある女(タン・ウェイ)が犯人か否かを追求しているだけなのだから…。

が、先にも書いたように様々に切り取られた現実の洪水に圧倒される。逆に言えば、自分たちも日々このような「マルチバース状態」を生きているということだ。我ながらよくこんなことで脳がショートしないな…と再確認させられる(だからこそメタバースなんてヌルすぎてたいして流行らないんだろう)

けれど、だからこそ我々は脳がショートしないための「よりどころ」に縛られてしまうのだと思う。映画で言えば、「数字」・「法(ルール)」に象徴されるものだ。

たとえば、主人公の刑事の奥さんは「愛の営み」でさえ「数字」に還元してしまう。いわく「セックスは●●の数値が改善され、健康が増進する」のだと。
そうした視点ならば、太陽光発電だろうが、原子力発電だろうが「数値の違い」なんだろうし、だからこそ奥さんは原発会社勤務だと描かれるんだろう。

そして、そんな「数字に縛られた」奥さんと暮らす主人公も「法(ルール)」に(過剰に?)縛られている。
捜査のためなら自ら断崖絶壁でも登り懸命に調べるし、暴力を使った取り調べには「そんなことはしちゃだめだ!」と嫌悪感を示す。刑事ならば守るべき「法」に縛られまくっている。

つまり、現実が「洪水のよう」だからこそ「よりどころ」に縛られる。そういうことを描いているのだと思う。

だからこそ。「よりどころの外=縛られからの解放」が輝きを放つ。
映画では「数字妻」と「刑事の法」に縛られていた刑事が「逸脱そのもの」のような女(タン・ウェイ)に魅せられていく。

なにしろ、彼女は国境を逸脱(中国→韓国)し、言語を逸脱(韓国時代劇で覚えた古い韓国語を現代で使う)し、自分の思いを遂げるためならば法律すらも逸脱するのだから。

取り調べで、お互いに嫌いな「血&臭い」の象徴ともいえる寿司(生魚)を食うという「逸脱」から始まり、刑事は「逸脱」に引き寄せられていく。

そして、主人公を縛っていたものは「崩壊」。

「ここ」と「あそこ」の違いも、「過去」と「現在」の違いも「逸脱」した超展開の捜査を繰り広げる。
空間の違いも、時間の違いも「逸脱」し、いろんな場所に出現しまくるようになる。
(観てない人には「なんじゃそりゃ?」でしょうが、観てみて下さい笑)

そして、しまいには真実を暴き出しながらも「証拠隠滅のためスマホを海の奥深くに捨てろ」と言い出してしまう。

けれど、「よりどころの外=縛られからの解放が輝きを放つ」のは、現在縛られているからであって。檻の中にいるから檻の外が輝かしいのであって。

実際、飛び出してしまえば、また同じことが繰り返される。つまり「檻の外」→「脳がショートするマルチバース状態」→「よりどころへ依存」→「また檻へ…」と。

ならば「檻の外を求めながら、最終的には求めない」みたいなスタンスが必要になるのではないか、と。

映画では、思いを遂げるためなら「法」だろうと何だろうと「逸脱」していた「女」は、思いが実現しかけるや、海の底深く沈んだスマホのごとく砂浜に沈み自ら命を絶つ…

別の言い方で言えば、刑事が「崩壊」と言ったつもりの言葉を「愛してる」と解釈したまま死んでいく…(中国語と韓国語で発音が似ていたのだろう、たぶん。)

つまりは、「様々な障害(檻)」を乗り越え付き合ったとしても、また「様々な障害」により「檻」に捕らえられてしまう。ならば「檻の外を求めながら、最終的には求めない(=死)」が理想形なんじゃないかと。

個人的に思っていることだが、パク・チャヌク作品には、ある法則があって。それは…
①「真(価値が高い)/偽(価値が低い)」を提示しつつ、「真」の側があえて「偽」の側に飛び込む。
②そのことで境界線(価値)が攪乱され、線の「外」が浮かび上がる。
③そのうえで「外」に飛び出す(ex「親切なクムジャさん」「お嬢さん」)
④にもかかわらず、あえて「外」に飛び出さない(ex「オールドボーイ」)

それで言えば、本作は④にあたるものなんだろうと思う。

ただ、そういうと「自分たちの信じたいもの(偽)に閉じこもる陰謀論者」のようにも思えてしまう。だから自分自身もこのタイプの結末が好きかと言われれば好きではない(笑)

けれど、「外」から逃避するために「閉じこもる」のと「外」を求めるがゆえに「閉じこもる」のは別の話だということなんだろう。
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