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逆転のトライアングルのambiorixのレビュー・感想・評価

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
3.9
第75回カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作。監督のリューベン・オストルンドは前作の『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に引き続いて2作連続での同賞受賞という離れ業をやってのけました。この監督は個人的にもっとも好きな映画作家のうちのひとりで、これまでにも、「危機のさなかに自分だけ逃げ出した父親を許せるか?」というワンイシュー一点張りで最後まで突き進むブラックコメディ『フレンチアルプスで起きたこと』、表立って批判しづらい加害者や弱者の立場をここぞとばかりに振りかざしてくる被害者といった絶妙な設定のおじゃまキャラを使って観客の誰しもがもつ「不寛容の心」をあぶり出し審問に付してくる『ザ・スクエア』などの傑作を世に送り出してきました。最新作『逆転のトライアングル』においても、死にかけのアリを水溜まりに放り込んで経過を見ながらニヤニヤ笑ってるような、底意地の悪い語り口は相変わらずなのですがウーン、結論から言っちゃうと期待はずれだった。後述するように、今回は作品のテイストが途中からガラッとエンタメ方面にシフトするので、その分だけいつものブラックな笑いが失われてしまったように感じました。
冒頭の第一部で槍玉に挙げられるのは、ファッション業界のいびつさ。徹底した女尊男卑の構造、収入格差、ルッキズム、身につけるブランドのランクによってコロコロ変わる態度や表情の相対性…と改めて振り返ってみるとのちの伏線になるような要素がたくさん仕込まれている。続いてレストランで繰り広げられる、金持ちのくせに絶対に奢りたくない女と金がないのに奢らなくちゃあいけない男とのバチバチのやり合いは紛れもないオストルンド節。特にエレベーターに場所を移してからの展開は、プライドの高い男のみっともなさを演出させたら彼の右に出る者は後にも先にも存在しないんじゃあないのかと思えてしまうほどの名シーンだ。
本作のテーマはずばり「格差社会」。前作『ザ・スクエア』でも、上級国民の主人公と貧困層向けアパートに住む少年とのイザコザが描かれたわけだけど、あのエピソードで諷刺されていたのは「上級は上級同士でしかつるまないから下級の気持ちがわからない」といった階級の断絶ぶりだった。そこからさらに一歩進んだ『逆転のトライアングル』では、上級国民と下級国民とをごっちゃごちゃにかき混ぜ、二者の立場を逆転させる、という壮大な思考実験を敢行する。その舞台として選ばれたのが第二部の豪華客船のシーケンス。ここに登場するのは、オリガルヒを彷彿とさせるロシアの資本家だったり、人の不幸でメシを食う武器商人の老夫婦だったりと、だいたいがろくでもないやつらばかり。そんな中、ウディ・ハレルソン演じる酔っ払い船長だけがひとり上級と下級の対立構図を脱構築し、手前勝手にサバイブしてみせるあたりは実に痛快なのだが、そういえばあの船長って結局どうなったんだろう…。
テクニック面で印象的だったのがオストルンド監督の環境音やオフの音の使い方のうまさ。画面に付きまとうハエの音や泣きやまない赤ちゃんの声を使ってなんとも言えない居心地の悪さを演出してくる。特に食事中ずーっと聞こえるグラスの音がクリティカルすぎて、画面の揺れも相まって俺まで船酔いしちゃったもんな…。そのうえもらいゲロ体質持ちでもあるので、ゲロのつるべ打ちと逆流ウンコが織りなす地獄絵図を目の当たりにして本気で吐きそうになった(笑)。ちなみに同じパルムドール受賞作で格差をテーマにしたポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』にも便所から下水が逆流するシーンがあるんだけど、あっちで描かれたのはいわゆる「ウンコのトリクルダウン」とでも呼べるような現象だった。上流から流れてきたもろもろを下流の貧困層が全部ひっ被らされてしまう構図。ところが本作においてはベクトルが逆転、「ウンコのトリクルアップ」が起きている。逆流したウンコがぐるぐる回って最終的に上級どもを破滅させてしまう。続くパートで頂点に君臨するのがトイレ掃除のおばちゃんだったことを想起してみるとなかなかシャレの効いたギャグだと思う。
第三部ではくだんの豪華客船があっけなく沈没。主人公カップルのカールとヤヤをはじめとする8人が生き残り、無人島に流される。むろん無人島で生活する中において、銀行に溜めた金の多寡やルックスやインスタのフォロワー数や自撮りのスキルやなんぞはクソの役にも立たない。代わりに求められるのは、火が起こせる、素手で魚が獲れる、といったサバイバルの技術だ。そんな状況下で、船内カースト最下位に甘んじていた掃除婦のアビゲイルが徐々にヘゲモニーを掌握、文字通りの逆転現象が起きる。ところがこのパート、最初はたしかに王道エンタメ映画的でオモロイのだが、ポスターの煽り文句以上のことは何一つ起こらないのね。これまでに見てきた無人島ものの類型からはみ出るような驚きは申し訳ないけどなかったように思う。なので自分でもびっくりするほど語ることがない…。
ウィリアム・ゴールディングの「蝿の王」のごとく、第三者的な異物の闖入により無人島での狂騒が相対化されて映画は終わる。結局のところこれまでの出来事はすべて茶番で単なる悲喜劇に過ぎなかったのだし、ヤヤの放ったあの発言だって「文明社会に戻ったら今度はわたしがご主人様よ」とでも言わんばかりだ。階級を再度逆転させ、固定するための牽制球。だいたい掃除婦から付き人にクラスチェンジしたところで何が変わるというのか。なんだけど俺はそこに、上級と下級が連帯できるかもしれないかすかな希望のようなものを感じ取らずにはいられなかった。いやさ、無理にでもそう思わないとこんな惨めでクソッタレな世界、あまりにもやり切れないダロウよ…。
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