kuu

逆転のトライアングルのkuuのレビュー・感想・評価

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
3.7
『逆転のトライアングル』
原題 Triangle of Sadness
製作年 2022年。上映時間 147分。
映倫区分 G
人間に対する鋭い観察眼とブラックユーモアにあふれた作品で高い評価を受けてきたスウェーデンの鬼才リューベン・オストルンドが、ファッション業界とルッキズム、そして現代における階級社会をテーマに描き、2022年・第75回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した人間ドラマ。
第95回アカデミー賞でも作品、監督、脚本の3部門にノミネートされた。
オストルンド監督は本作で、前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に続いてパルムドールを受賞し、史上3人目となる2作品連続のパルムドール受賞という快挙を成し遂げた。
ヤヤ役は、2020年8月に32歳の若さで亡くなり、今作品が遺作となったチャールビ・ディーン。
カール役はハリス・ディキンソン。
そのほか、フィリピンのベテラン俳優ドリー・デ・レオンやウッディ・ハレルソンが共演。

モデルでインフルエンサーとしても注目を集めているヤヤと、人気が落ち目のモデルのカール。
美男美女カップルの2人は、招待を受けて豪華客船クルーズの旅に出る。
船内ではリッチでクセモノだらけな乗客がバケーションを満喫し、高額チップのためならどんな望みでもかなえる客室乗務員が笑顔を振りまいている。
しかし、ある夜に船が難破し、海賊に襲われ、一行は無人島に流れ着く。
食べ物も水もSNSもない極限状態のなか、人々のあいだには生き残りをかけた弱肉強食のヒエラルキーが生まれる。
そしてその頂点に君臨したのは、サバイバル能力抜群な船のトイレ清掃係だった。

ここ数年、資本主義や階級闘争を正面から扱った映画やテレビ番組が数多く公開されている。ジェニファー・ローレンスとレオナルド・ディカプリオを中心とした作品『Don't Look Up』(2021年)、
続編が待ち遠しいドラマ『イカゲーム』(2021年)、
『ホワイト・ボイス』(2018年)などはその一例かな。
ルーベン・オストルンド監督の今作品も、階級を意識した映画のパンテオン(万神殿)に加わることができるんちゃうかな。
オストルンド監督は、富裕層を風刺するドタバタ劇の中で、繊細さを一切排除している。
ブルジョワの相続人もハイテク企業の億万長者も同様に、現実世界とはまったく無縁の、惨めで空虚な生き物であることを容赦なく露呈している。
チャールビ・ディーンは、この映画の公開直後に、カプノサイトファーガという細菌による敗血症で不慮の死を遂げた。彼女は数年前に交通事故で脾臓を失っていた。
彼女はまだ32歳だったそうな。
今作品の登場人物は、ソーシャルメディア・インフルエンサーのカップル、カールとヤヤがレストランの会計をめぐって激しく口論する場面から展開される。
ここでオストルンド監督は、資本主義下のブルジョア的な関係や男女の役割について興味深い解釈をする。
ヤヤは、金持ちが自分たちの関係を取引的に捉えていることを明らかにして議論を終える。
『私はあなたが好き。私はあなたが好き。私はあなたが好き、あなたは私が好き。』
しかし、この序幕は、メガトン級リッチとその妻たち、愛人たちで賑わう豪華ヨットの上で繰り広げられる、より実質的な第2幕の序章にすぎない。
冒頭から、この富の非常識さが嘲笑される。
たとえば、ヘリコプターがヨットに荷物を空輸するシーンが映し出される。
漫画のようなキャストの中には、ソビエト計画経済の崩壊を背景に金持ちになったおっちょこちょいのロシア人オリガルヒ、武器取引(あるいは『民主主義を広める』と婉曲に表現しているかな)で財を成したイギリス人の老夫婦、脳卒中を患った後、『in den Wolken』、つまり雲の上という言葉しか口にできなくなったドイツ人の金持ち女性などがいる。
しかし、甲板の下には、下層階級の低賃金労働者、主に出稼ぎ労働者がいて、船を浮かせている。
金持ちの乗客にとって、これらの労働者は目に見えない。
ヤヤが労働者のひとりと交流すると、カールは困惑してこう尋ねる。
『なぜ乗組員と話すんんや?』と。
しかし、この時点でオストルンド監督の解説の限界が明らかになる。
アビゲイルはこの新しい島社会の家長となった後、自分に特権を与えたり、カールから性的な好意を引き出したり、自分の立場を利用して他の島民を恐怖に陥れたりと、権力を乱用する。
オストルンド監督は、労働者階級が権力を握れば、それ以前と同じ搾取と抑圧を復讐心に燃えて再現するだろうという、典型的なリベラルの偏見に陥っている。
『革命は自分の子供を食い殺す』
ちゅうこの卑屈な考えは、革命に反対する自由主義者のどこにでも見られる。
オストルンド監督は、新聞のインタビューで、このような見方を公然と明らかにしてた。
『貧乏人はいい人で、金持ちは意地悪。』
云い換えれば、人間てのは本質には根本的な欠陥があり、社会をより良く変えることは不可能なのかもしれない。
このような悲観主義は、小ブルジョアジーの典型的な見通しを反映している。
資本主義の行き過ぎに反発しているが、労働者の権力と社会主義の見通しについても同様に冷笑的である。
このことは、ロシアのオリガルヒとアル中の『マルクス主義者』船長(ウディ・ハレルソン)が登場するシーンではっきりとわかる。
階級的な敵対関係とはほど遠く、これらの登場人物は互いの鏡像として描かれている。
マルクス主義者の船長は金持ちにもっと税金を払えと懇願するだけで、二人はまるで火のついた家のように仲良くなる。
それ故に、同じ新聞のインタビューで、 
彼は『我々は経済を良くするために生きているのか、それとも我々の生活を良くするために経済があるのか?我々は資本主義の特質を忘れてしまったようです。』
と監督がこう考えているのも不思議ではない。
しかし、今日我々が目にしている混乱は、資本主義が提供するすべてのものである。
今作品は、社会における急進的なムードの高まりを反映している。
そして確かに、超富裕層を揶揄する良い仕事をしている。
今作品では階級主義、資本主義、物質主義、富がすべて俎上に載せらてた。
風刺映画はたいてい、見る人によって当たりかハズレのどちらかである。
メッセージを理解できるかどうかは、見る人によって物事の本質ではないと思うやろし、むしろ、メッセージの伝達、つまり実行が、風刺の良し悪しを決めるって人が多い意味では、今作品は、物語的にも、論理的にも、テーマ的にも、多くの領域をカバーしているし、映画的に見れば悪くない作品でした。
kuu

kuu