ゆずっきーに

逆転のトライアングルのゆずっきーにのネタバレレビュー・内容・結末

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

新年早々とんでもない映画に当たってしまった…。黄桜にあんころ餅つまみながら観てたら喉に詰まらせかけるなど。散りばめられた暗喩と没入感が凄まじい作品なので、落ち着いた環境で腰を据えて観てみることを強くおすすめしたい。いやあ劇場で観たかった。
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男性モデルのカールとインフルエンサーのヤヤは今をときめくセレブカップル。稼ぎはヤヤの方が少し上。レストランでの支払いをカールの方が勝手に済ませた、といった些事で2人は喧嘩をしてしまう。「お金」をめぐる私人間での諍いから物語は幕を開ける。
シーンは変わり、2人もゲストとして招かれた富豪たちの船上クルーズへと舞台は移る。ゲストたちから小金を貰うことに熱を上げる乗務員ら、その下で船内の雑用をこなすアジア系とアフリカ系の労働者という階級のピラミッドが船内に存在する中、共産主義者の船長は職責放棄とも言える程アルコールに没頭している。
夜になると波が荒くなり、富豪たちは次々に吐き気を催す。地獄絵図のような異様な雰囲気に陥った船内で激昂した客と酩酊した船長が資本主義と社会主義の舌戦を取り交わすという皮肉な構図が続く。
その後、警備の隙を突かれた船はなんと海賊の襲撃を受けて沈没してしまう。辛うじて生き延びた10名弱は無人島に漂着するが、極限の野外生活、ここでは資本ではなくサバイバル力が物を言うのだ。ピラミッド構造は逆転し、アジア系労働者のアビゲイル女史が新たなキャプテンとして島に君臨。野生に回帰するような動物的生活の中でカールはアビゲイルと懇ろの仲になる。
終盤、ヤヤとアビゲイルが島の奥地へと探索に出たところ、島は無人島などではなく、裏手に雄大な高級ホテル街を抱えるリゾート地だったことが発覚する。助けを求めようと街に駆け寄るヤヤ、その背後めがけて鋭利な岩を振り下ろさんとするアビゲイル、瞬間、ヤヤのもとに疾走するカールを映して物語は幕を下ろす。
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パルムドールにハズレ無しと言うべきか “『パラサイト』のその先へ” といったような大傑作。上質で徹底された隠喩と皮肉が終始心地よい。

富豪の婦人が乗務員たちに海へと飛び込むよう命じるシーンが印象的。「自由に生きよう!」などと富裕層は好き勝手に宣うわけだが、そんな生き方を想定せずそれでも日々を生きる人々への想像力の圧倒的欠乏がそこにはある。海へのスライダーに並ばされる乗務員たちの列はさながらガス室へ送り込まれる被収容者の列のようでもあった。船長が酒浸りになっている理由が判らなかった鑑賞者の中には、船内の有り様が映し出されるにつけ船長と同じ感情に浸る者もいたのではないか。
無人島に漂着してからの話の展開も上手い。レストランのシーンでは、トロフィーワイフとして生きていきたいヤヤのライフプランを全力で否定しにかかったカールだが、無人島では自身がアビゲイルのトロフィーと化す始末。カールこそが現代的感性を内面化した人間としての愚性の象徴であったということなのだろうか。

そしてラスト。逆転のトライアングルが一気に再逆転しようかというところ。アビゲイルからすればそれは自らの再転落を意味するが故に、助けを求めるヤヤを殺してしまおうという心持ちもよくわかる。虐げられてきた側にとっての切実さというのは究極的には上の立場の人間からは理解できない。
一方で、ヤヤはというと無人島生活を先導して自分たちの命を繋いでくれたアビゲイルに心から感謝をしており、「付き人になってくれないか」という提案をする。ヤヤはその立場に当然紐付く自らの権力性にあまりにも無自覚であるだけで、彼女もまた良心を持ち合わせた一個の人間であることにアビゲイルは気づき、苦悩する。苦悩するアビゲイルにも人間としての良心が備わっている。それでも、私の解釈では、カールを巡る痴情の縺れが最後のトリガーとなって、岩は振り下ろされた。
いや冷静に考えれば帰還した後には富豪たちからの施しでアビゲイルもそれなりの暮らしをできていたかもしれない。しかし、動物的社会に再帰した非流動的集団では性欲が前面に出てくる(出てき過ぎる)が故に、最後の意思決定となってしまったのではないかと思料する。
最後のアビゲイルの演技、演出、音楽の使い方、何もかもが抜群に良かった。音楽マジでクール過ぎワロターランド。この数年に観た映画の中でもラストの切れ味なら今作が群を抜いていると感じた。

オストルンド監督は「如何なる様態のコミュニティであっても権力構造は生まれる」論であるし、「権力の側はあたかもその構造を理解した気になっているが、何ら無知で無自覚な存在である」という諦念を見せつけてくる。本作のレビューを辿っても「ファッ!?乗客の嘔吐グロすぎィ!」みたいなものばかり。これだけシニカルな作品作りに徹する監督であれば観客もその皮肉の射程に入っているだろうし、思考停止でパルムドールという記号を摂取し続ける彼らにどのような批判的視線を差し向けているのか、そこを想像するのもまた一興だろう。構造の可視化と各人の歪みを描いた『パラサイト』に対し、構造の逆転まで駒を進めてみせた今作。どちらも素晴らしいし、対比して改めてパラサイトも観返したいと思った。邦題が「逆転のトライアングル」だが、原題「triangle of sadness」の方が含蓄に富むようで自分の好み。

あくまで個人的意見だが、無人島でのカール、ヤヤ、アビゲイル以外の面々の躍動する原始生活の様はある種「健全な人間社会」への一つの答を監督が示していたようにも思う。人種や資本の差に依らず、互いが互いの存在をリスペクトし、果たせる役割を果たす。時計やアクセサリーは玩具に成り下がり(ブランドなんぞ知らん)、皆で獣を仕留めれば全力で喜ぶし、壁に絵を描く。あれ、石器時代の方が人間としてのレベルが上だったんじゃないか?という壮大な皮肉。大好きです。
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