大道幸之丞

ヨーロッパ新世紀の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

ヨーロッパ新世紀(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

原題は「 R.M.N」Rezonanta Magnetică Nucleara(核磁気共鳴:日本でのMRI)

こう聞くと「核廃棄物の物語か⁉︎」と思われてしまいそうだが、そうではなく日本でいう「付和雷同する人々」ぐらいに思っておくといい。

鉱山が閉鎖されてしまったルーマニアの寂れた街トランシルヴァニアが舞台。
このエリアはルーマニアながら、長い歴史の中でハンガリー人とドイツ人も住んでいる。

本作品で「欧州の田舎町は日本と変わりがないな」と思えるのがよい。

ヨーロッパ人の面倒なところは800年前あたりの歴史的背景や習慣をむやみに現代に引き釣り込んだりして、誇りや不満にしている。

本作は2つの軸を持っている。まずは妻と子どもを残してドイツに出稼ぎに来ているが、暴力事件を起こし戻ってきた男マティアス。

出稼ぎだから仕方がないのに、妻アナは子育てを押し付けられた感が不満で、戻ってきたら急にそれまでの流れを無視して父親ヅラをしたがるマティアスに冷たい。要するに夫婦の仲が冷え切っている。冷たくされるマティアスは元恋人のシーラを訪ねる。離婚したばかりのシングルだ。

もう一つはそのシーラが勤めるパン工場。鉱山の閉鎖後まともな企業はここしかない。パンは皆が食べるので需要はあるが、最低賃金の為に募集をかけても人が来ない。そのため経営者のシーラは外国人(スリランカ人)の雇用を実行する。最初は2名で追加で1名の計3人。勤勉で仕事はすこぶるまじめ、これで一件落着と思いきや村人の一部から全くの人種的偏見でネットに中傷が書き込まれる。

理不尽な言いがかりを工場側ははねつけるが、不買運動も起こり、街の教会ではその不満が伝搬し紛糾する。スリランカ人の住居には食事の団らん中に火炎瓶が投げ込まれる事態も起こる。

神父が町長も集め村人を文化センターへ呼び話し合いをしようとするが、そこで出てくる話は「パンを捏ねる手が汚い」「病原菌を持ち込む」など無根拠の言いがかりばかり、

結局、鉱山閉鎖後職がない村から皆出稼ぎに出ている状況や、そんな寂れた街のためにパン屋を経営していても価格を上げたくないので低賃金にしているその事情も知った上で、工場勤務者も「オーナーのベンツも搾取の結果だ(実際はリース)」などと卑屈さからくる思い込みを語るのみで結局、

皆この寂れた村の事情の全くの個々人の不満を外国人労働者にかこつけて文句を言ってる本音がわかっただけだった。政治の話も出るが、それにも不満があるらしい。この長回しの議論の場面はどうにも他人事に思えない。本作一番の見応えあるシーンだ。

そんななか精神病で苦しんでいたマティアスの父が首を釣って自殺した。

紛糾している村人を、正義感からマティアスが活躍でもするものと思っていたが、文化センターへ来てもシーラに手を握ってもらいながら「俺には興味がない」とうんざりしておりなんら役に立とうとはしない。ダメ男そのものだ。

不買運動を恐れた社長がついにスリランカ人を解雇することに、シーラはその場で、その信念のなさに呆れ辞職を伝える。

2つの軸がどう作用しているかといえば国や村の都合都合と政治も結局その足元には〝人〟と〝個々の事情〟があることを意識させてくれる。欧州の田舎村で政治や街の暮らしが窮乏するなかで市井の絶望的な暮らしの暮らしがなんの名を借りて紛糾するかわからない。

良く似たトーンは佐藤泰志原作の映画「海炭市叙景」など一群の作品であろう。

しかし本作は「差別感情はどこから出てくるか」を見せていて佐藤泰志作品より現代欧州のリアルがそこにはある。日本人の中国、韓国人への偏見と非常に良く似ていて、たまたまスリランカ人であったが、欧州では日本人もそう扱いは変わらないのではとも思った。そこは非常に身近に感じた作品だ。