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アルマゲドン・タイム ある日々の肖像のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

2.5
[1980年代NYで少年が知った"白人の特権"] 50点

2022年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。ジェームズ・グレイ長編八作目で、グレイとしては5度目の選出。1980年、東欧ユダヤ系移民の血を引く少年ポール・グラフは6年生になった初日、反抗的な黒人の留年生ジョニーとすぐさま意気投合する。ポールは中産階級の次男坊として特に不自由を感じることなく暮らしており、学業よりも芸術家になることを望んでノートの端に絵を書いて過ごしていて、理解のある祖父アーロン以外の家族とは反りが合わない。そんな彼の信じる世界は綺麗で小さなものだった。実家は超金持ちで、家族は暴力や差別からは程遠く、母親はPTAの役員として学校を牛耳っている、とポールは考えていた。しかし、現実は甘くない。ポールとジョニーの担任は問題行動を起こすジョニーを目の敵にしているが、やはり少々過剰であり、アーロンの母親はウクライナから戦禍を逃れて渡米した人物であり、アーロンもラビノヴィッツというユダヤ系の名前から職にありつけず苦労したという話を聞かされ、両親はジョニーとの友情を良しとしていないし、長男が既に私立学校に通っていることからポールまで私立に送る金銭的余裕はなく、少なくともポールの言う"スーパーリッチ"とは程遠い。そうして悪意に満ち溢れた世界に出会った少年ポールに対して、祖父アーロンは優しくかつ力強く"戦い続けろ"と諭す。後に兄の通う私立学校に入学したポールが、校長であるフレッド・トランプ(つまりドナルド・トランプの父親)と出会い、ラストで彼の演説から一人抜け出すのは象徴的だ。

原題"Armageddon Time"はウィリー・ウィリアムスによる曲名、或いはザ・クラッシュによるカバー曲を指している。劇中にもカーティス・ブロウやシュガーヒル・ギャングを勧めるジョニーに対してポールがビートルズを勧めるように、音楽を用いたポールの白人としての無邪気さを描くシーンがある。本作品はそういった"白人の特権"についての物語である。白人社会で白眼視されてきたユダヤ系というルーツもあってか、ポールを含めたグラフ家の面々は"白人の特権"についてある種無自覚であったが(特にラストの父親が酷い)、アーロンの導きによってポールは自覚的になる。しかし、自覚していても行使すれば全く意味がないどころか余計にたちが悪い。本作品はそんな無自覚に特権を行使する、或いは自覚的だが保身のために行使するような白人たちを見つめている。ただ、本当に見つめているだけなので"俺は白人だけど差別なんかしないよ(ガッツリしてる)"みたいなエクスキューズにも見えるし、1980年代へのノスタルジアやアイコン化したトランプたちの登場などのノイズも多めなので、作品そのものに鋭利さがあるとは言い難いのが難点。

また、グラフ家の大人たちは、レーガンが大統領選で当選したときに"核戦争が起こるぞ…"と絶望するようなリベラルを自認しながら、黒人とはどちらかと言えば関わりたくないし、息子が生意気な態度を取れば父親がベルトで顔を殴るし、トランプの経営する私立学校に通えば成功者としての第一歩という認識でいるし、という今の感覚で見れば矛盾しているような価値観を持っているように描かれているのが興味深い。どういった方向性でそう描いているのかは正直よく分からんのだが、最終的には"自伝的作品なんで…"で片付けられちゃいそう。
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