モンティニーの狼男爵

CLOSE/クロースのモンティニーの狼男爵のレビュー・感想・評価

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)
4.8
最近また一つ歳を取りました。
それでもまだまだ、決して長くはないんだろう年齢だけれども、視点としてよく目に付くのが「喪失について」という今日この頃である。
(喪失してきてるなぁ。。)というより、今まで目を向けてなかった喪失が実態を持って迫っているという印象。

本作『CLOSE/クロース』もその要素を多分に含んでいる。
ルーカス・ドンと言えば『GIRL/ガール』で「ohohoh! waitwaitwait!!」とむず痒い体験をしたのを覚えている。言葉や演出よりかは表情の機微を巧みに捉えて感情を伝える、何ともフランスらしさある監督さん。

幼馴染みのレオとレミ。唯一無二の親友であり兄弟のように育った彼らの関係に、ある女の子の一言で亀裂が走る。その走り方が何ともリアルというか、幼さと自意識の狭間で完全に滲み出てしまっていて観ていてむず痒い思いをした。
そこからゆっくり時間をかけて「喪失」に向き合おうとするのだけれど、その過程が、身悶える程もどかしくて美しくて、(なんとなく…わかる、わかるよ)とおいおい泣いてしまった。
自分の行いを「業」として捉えてしまっていて、悲しみは本物なのにそれを抱きしめられない。触れることすらおこがましいのではないかという自己嫌悪。そこから溢れ出た行き場のないエネルギーを、家業やスポーツや同級生らとのレジャーに費やしても、ずっとどこか悲しい。。
傷口から止まらない血を流し続け、貧血気味になって、「くそ!上手く体が動かない!何でだ!」と言っているような矛盾。

静的描写と動的描写が繰り返されて、それでもいつまで経っても上手くいかず、冬になり春になり、また夏がやってきて、(あぁ、ほんとに時間ってもんは残酷だな。。)と思った。けど、折り合いをつけなければ進めないのかと言われればきっとそんなことはなくて、逆に言えば折り合いをつけようともがいたり、もがかなかったりする姿勢ですらある意味進行していることに繋がっているなと思った。
きっとレミの母親もどこかで「業」を背負ってしまっていて、人前で泣ける夫をよそに表に立ったり、ただ呆然と悲しみを目にしていると思った。
そんな二人が最後に、それぞれの、別々の「喪失」を埋め合うように抱擁するのだから涙腺が崩壊してしまった。

最後に一つだけ、ネタバレありきの話になるが忘れたくないものとして、映画の構造として「まくられた!」と思った素晴らしい点を。
まず後半、回想が1回も無かったこと。観客である僕らも知っている、レミとの思い出の回想がひとつもなかった(進級パーティー?を眺めてレミの姿を探すような素振りはあったけど)。僕らが思うそれと、レオが持っているそれとでは圧倒的に意味合いの差があるだろうから無くて本当に良かった。
そして、それがあるなら絶対ファーストシーンの小屋も来るだろうなと思ってたこと。
「隠れろ!」「どうした?」「足音がする。聞こえないのか?」「足音なんて」「しっ!静かに」「なんだよ、何が来るってんだ」「囲まれてる。3,2,1で同時に逃げるぞ」
このメタを使わず、あえて花畑の疾走を選んだセンス。これからは1人で走らなければならない。立ち止まり、振り返るラスト。多分その先にはあの小屋があって、絶望とも覚悟とも取れる表情で振り返るレオで締めくくるのは、「やられた!すごい!」と思った。…二つ話した。
あと、先生が使った「感情はその人のものよ」が何気に心に残った。フランスってやっぱそうなん?