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CLOSE/クロースのrのネタバレレビュー・内容・結末

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

この映画は、罪や後悔と向き合うこと、傷を癒すこと、また自分の加害性に気が付き、コミュニケーションを見つめ直すきっかけになり得ると思った。家族や友人との親密さ、寄り添い方について、改めて考えたり話し合ったりしたい点が幾つかあった。やり直せない時間の怖さと尊さについて。忘れるという救いについて。また、起きた出来事を受け止めるためには時間が必要で、生活の中でそれまでは何気なかったことがある瞬間に重なり、本当の意味で向き合う場面が描かれており、感情や考えを変化させるポイントは大きな一点ではなく、生活にちりばめられている小さな出来事であることがみえた。精神と身体の関係も、とても面白いと思った。
一方でクィアとしてみることのできる子どもが、そのことを要因に死を選んでしまうような作品が今も作られていることがとても悲しい。物語におけるクィアの死は、罪の象徴としての機能を想起させられる。この物語はレオやレミの家族、クラスメイトの行動を展開させるためにレミの死があり、喪失による悲壮感をより強調するように美しい風景やレオとレミ2人の時間、家族との時間があるように観ることもできてしまう。「あるひとにとってはほんの些細なことでも、別の誰かにとってはとても深刻な出来事である」という人との関わりの中で生じる問題は普遍的なものかもしれないが、流動的な性の中を漂う子どもが生きる現実をリアルに描き、映像の美しさによってここにある問題の緊急性や深刻さよりも子どもの心の脆さや儚さを強調し感動を誘うような映画としてのあり方はとても支持できない。劇中で美しさによって曖昧になる残酷さや暴力性はある人にとってとても深刻で、その問題は感動を与えるためのものとして扱われて良いはずがない。けれど、当事者を含めてこの映画を見て救いを得たり、新しい気付きや学びによって感動したり自身と向き合えているような意義のある見方をしている人はきっといて、その人のためにこの映画があってよかったと思う。(この映画を批判する私個人の意思と、みた人が得た感情に対する気持ちは全く別であるということ)今生きている人が普遍的に捉えるということは、その問題を自分の記憶に重ね合わせるということであり、私に乗り越えられたのだからあなたにも乗り越えられる/られたはず、というように問題をより軽くしてしまう危険もあるように思う。普遍的に捉えるということの危うさについてもっと考えたい。人の悩みも幸せもその大きさは当人以外には解らないということが、普遍的であることより蔑ろにされてしまうのはどうしてなのか。他者を完全に理解することはできないからこそ問題は起こり、対話や行動はより繊細である必要があるのに、完璧に分かり合えないということは尊く人間的な営みとして豊かになり得るはずなのに、それよりも個々の問題を普遍的に捉え直すことの方が大切だとはどうしても思えない。
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