なべ

クライムズ・オブ・ザ・フューチャーのなべのレビュー・感想・評価

4.0
 クローネンバーグは未来人なのではないかと思っている。彼の撮る映画がいつも時代を先んじてて、10年以上経ってから、ああそうかとわかることが多いからだ。ビデオドロームもイグジステンズもそう。
 けど最近は他人の脚本で撮ることが多くて、さすがにもうぶっ飛んだ物語は年齢的に無理かと諦めかけていたところに「クライム・オブ・ザ・フューチャー」よ。10年後の未来を引っ提げて、ぼくらのクローネンバーグが帰ってきた!
 スキャナーズやビデオドロームのような人体を著しく損壊する暴力描写はなくなったけど、代わりに空気の密度がより濃くなった。静かでねっとりとまとわりつくような粘度の高い空気。
 あまりの気持ちよさにうっかり眠り込んでしまったよ。しかも肝心のクライマックスで。痛恨のミス(気がつけばエンドロール…)。今年の夏は猛暑日が続いてなんだかしんどいのよ。
 仕方なく平成生まれのダチにラストシーンを教えてもらったのだが、わぁー!この話をそんなふうに閉じるのかと、クローネンバーグが到達した高み・極みに、そしてそれを観届けられなかった悔しさに悶絶したわ。名画座でもっかい観るけど(ちゃんと観直してきた)。
 クローネンバーグが好きな方は問題ないが、知らない人は最初から置いてけぼりを食うかもしれない。てか、設定自体が困惑の嵐よ。初心者はあらかじめあらすじを読んでいくことをお勧めする。

 未来の話。人類は痛みを克服(痛覚の鈍化)し、身体の内部を変容させ始めていた。もうすでに難しいよね。なんだそれはって。あ、でも痛みがテーマじゃないからね。
 主人公ソール・テンサーは、「加速進化症候群」という病気を患っていて、からだの中で正体不明の臓器がしょっちゅう生み出されている。ははは、ちゃんとついてきてね。そのせいで絶え間ない痛みと慢性的な体調不良に悩まされている。ここね、クローネンバーグに慣れ親しんだ人は、痛みがない世界で痛みに悩まされている差異化の魅力(セクシーさ)にぜひ気づいてほしい。大人のエッチもクローネンバーグ作品の特徴だから。
 クローネンバーグ作品に欠かせないバイオメカガジェットだが、本作でも登場する。ソールを抱えるように登場する奇妙な半球型の有機的装置はベッドで、ソールの痛みを感知し、できるだけ痛みの少ないポジションを探して自動的に動いている。
 実はこれ、映画を観てるときはよくわかってなかったのね。会社の若い同僚に、クローネンバーグの世界を観てもらいたくて解説したところ、あやふやだったイメージが急にスッキリ理解できたの。言語化することで理屈が立ったというのかな。ほら、解らない子に勉強を教えると自分の理解も深まるあの感じよ。
 あのベッドは、ソールの“絶え間ない痛み”が感覚的にわかるプロップなんだけど、コンセプトもビジュアルも80歳のおじいちゃんが考えたとは思えないグロテスクな魅力に溢れてる。生涯現役の変態でい続けるってすごいよね。
 さて、パートナーのカプリースは内視鏡を使ってソールの新しい臓器にアートを施してる。2人はオーディエンスの前でその臓器を取り出すパフォーマンス、つまり解剖ショーで名声を得てる。コントローラーが女性器みたいなデザインで、このショーがセックスなのだとわかる。
 この世界では、政府は人が新しい臓器を生み出すことを憂慮している。人が人でなくなることに危機感を抱いてるのね。だから国立臓器登録所で新臓器の登録を呼びかけてる。
 ソールは半ば進化しかかってるようなもんだから、当然当局の監視対象なのだが、当局の捜査に協力することでショーを続けることができてる。
 当局は具体的に何を取り締まっているのか。それは臓器テロ。聞きなれない言葉だよね。でもクローネンバーグを観たことがなくても、勘のいい人ならわかるんじゃないかな。進化を良しとしない政府に対して、積極的に新しい臓器で人類を進化させようって団体。
 例えば深刻な環境汚染で食糧不足が起きているなら、自らを進化させて、プラスティックを食える身体になればいいじゃん!って過激な思想ね。実際臓器テロリストは、プラティックを消化できる臓器を移植して、その器官を遺伝的に固定させようと企んでる。闇でプラスティックチョコなんかも製造してるんだな。
 この旧人類と新人類のせめぎ合いが物語を進める推進力になっているんだけど、設定が難しいから、ストーリー部分にまで気が回らない。あらかじめ物語の流れがわかってると迷子にならずに、この不思議な世界観を楽しめるでしょ。

 クローネンバーグがこの脚本を書いたのは1999年だったという。だが、まだその時ではないと世に出すタイミングを見計らっていたのだそうだ。
 環境活動家による美術館テロなんかはいかにもそのタイミングを示してない? 最初は個人のライフスタイルのひとつだったものが、過激な啓蒙活動に発展するなんてさ。ヴィーガンの台頭なんかも同様。激辛店や激辛メニューの増加なんて味覚(辛味=痛み)の鈍化がすでに始まってように思えない?
 ぼくは両親をガンで亡くしているのだが、ふとこんなことを思ったりする。癌は進化の過程のトライアンドエラーなのではないかと。DNAにあらかじめ組み込まれたタイマーが発動して、人類は次の段階にステップアップしようとしてるんじゃないか。定期的に流行するインフルエンザもニュータイプになるための下準備なのではないか…。
 そんな妄想にとらわれたことがある人なら、本作の設定を案外すんなり受け入れられるのでは。

 クローネンバーグ作品は難解だが、現実の世界で起きていることを、作家のアイディアとセンスでエンタメに昇華させているのがわかる。それもとびきり変態風に。
 とりあえず観とこう。今は解らなくても、そのうち時代が追いついて、「あれ、昔はあんなに難しかったのに普通にわかるぞ!」って日が来るからさ。これぞ、クローネンバーグ映画のマジックなのだ!
なべ

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