きゃんちょめ

クライムズ・オブ・ザ・フューチャーのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

5.0
【『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』について】

阿佐ヶ谷で見てきたのだが、非常に面白かった。

「感染症の克服過程で痛覚が失われてしまった未来の人間たちのなかで、唯一まだ痛覚が残っている主人公は、加速進化症候群にかかっており、それゆえに臓器が毎日どんどんあたらしくできちゃうから、それを取り出す公開手術ショーをやっていて、でも実はその主人公は守旧派警察組織ニューバイス課のスパイであり、新しく出会った女と仕事上のパートナーとのあいだでの三角関係もあるから、さあ大変だ」というストーリーの映画だった。

臓器に描かれるタトゥーはアーティストの作品に対して国家が施す検閲のメタファーだと思う。父ラングが息子ブレッケンの肉体が切り開かれるとき、その臓器にタトゥーが既に入っていたのを見てしまい、泣き崩れるのは、息子を芸術作品に昇華する最後のチャンスすら国家の検閲によって潰されてしまったことゆえになのだと思う。

ところで、お腹にジッパーをつけてもらってから帰ってきたソール・テンサーが「セックスは手術だとあの女も言っていただろ」と言うと、それに対してカプリースが「いいえ、あの女は、手術はセックスだと言っていたのよ」と訂正するシーンが素晴らしいと思った。というのも、過去作の『クラッシュ』を見ればわかるように、セックスとなりうるのは手術だけとは限らない。交通事故だってセックスとなりうるのである。だから、手術はセックスだとしてもセックスが手術だとは限らないのである。このような集合の包含関係を匂わせるセリフまわしのうまさに唸らされた。

新しく生まれた臓器を検閲し、プラスチック・イーターたちを取り締まろうとする❶守旧派の組織ニューバイスは、新型出生前診断であるNIPTを使って堕胎をすることで人間が突然変異をしないようにする現代の営みを思い起こさせた。いわゆる「デザイナーズベビー」も、人間の世代交代の中で起こる偶然的変化を人間がコントロールし、必然化していくことで生まれてくる存在者なわけだが、この映画が描いていたものと無縁ではないだろう。

そうした体制派の人々とは対照的に、❷進歩派のプラスチックイーターたちも描かれていた。彼らについて、「ナチュラリーアンナチュラル」という言葉を主人公ソールが使っていたことは興味深い。彼らのプラスチックを消化できる機能は偶然的な突然変異の連続の中で、自然に生まれたものなのである。たしかに親世代はプラスチックが食べられるように手術で改造をして食べられるようになっていたが、子供の世代のブレッケン君は、自然にそのような能力を備えて突然生まれたのであった。

これらの二極に対して、その中間に位置する主人公ソールは、❶守旧派のスパイでありながら、❷進歩派の食べているプラスチックバーを食べられるようになって、微笑む。この微笑みが、最後のシーンであった。おそらく彼は最後に、どんどん進化していく肉体を備えつつも、それを「サーク解剖モジュール」という機械で、(快楽を得ながら)、必要に応じて制御もしていくという新たな在り方、つまり、❸進化と人間の調和的在り方に到達したのであろうと思われる。このような、進化の事実と人間の価値との調和を模索していこうという方向性まで、この映画は最後に示していたのではないかと思われる。

この、❶守旧派、❷進歩派、❸主人公という三つの極を鮮やかに整理してくれたおかげで非常に明晰な映画になっていた。

最後に余談だが、劇中に出てくる、耳が幾つもついているダンサーはオーストラリアのアーティストで大学教授のステラーク氏を思い起こさせた。ステラーク氏は、腕に埋め込んだ耳をインターネットに接続し、不特定多数の人々が自分の行動を追跡し、聴くことができるようにする計画を発表している人物である。

そして、私が大好きなクローネンバーグ監督の作品は以下の通りである。

【クローネンバーグの素晴らしい映画群】
①デッドゾーン
②ブルード
③スキャナーズ
④クラッシュ
⑤ビデオドローム
⑥イグジステンズ
⑦裸のランチ
⑧戦慄の絆
⑨マップ・トゥー・ザ・スターズ
⑩危険なメソッド
⑪コズモポリス
⑫ヒストリー・オブ・バイオレンス
⑬イースタンプロミス
⑭ザ・フライ

結論をもう一度だけ書いておく。とにかく『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』はこれらの過去の傑作群と比較しても全く遜色のない、素晴らしい映画であった。
きゃんちょめ

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