ambiorix

聖地には蜘蛛が巣を張るのambiorixのレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.1
オーストラリアの『ニトラム/NITRAM』やチェコの『私、オルガ・ヘプナロヴァー』、そして忘れちゃいけないわーくにの『REVOLUTION+1』などなど、実在する殺人者の人となりを一人称の視点で描いた映画がいまプチブーム(?)ですが、2000年から2001年にかけてイラン第二の都市マシュハドで実際に起きた娼婦連続殺人事件をモデルにした本作『聖地には蜘蛛が巣を張る』は同ジャンルの中でも飛び抜けて強烈な余韻を残す作品です。ある「崇高な使命」を掲げながら連続殺人を遂行する殺人者の存在を通して、イラン国内にはびこる社会通念や宗教観のいびつさを浮き彫りにしていきます。
本作のテーマは「女性蔑視」である、ととりあえずは言っていいかと思います。冒頭のシークェンスでは、幼い子供を抱えながら極度の貧困に苦しむシングルマザーが娼婦として街頭に立ち自分を買った殺人者のサイードに殺されてしまうまでのプロセスをねちっこいタッチで描くのだけれど、ここに出てくる男たちは娼婦をひとりの人間ではなく単なる性処理の道具としてしか見ておらないので非常に不愉快だし、女性の抑圧の象徴とされるヒジャブで首を絞める犯人の殺害方法にも向かっ腹が立ってくる。場面は変わって、高速バスでマシュハドにやってきたジャーナリストの女性ラヒミ。彼女も方々で男たちのミソジニー的な視線に晒されます。宿泊先のホテルでは未婚の女だからというだけの理由で予約を反故にされたり、警察署で警官からぞんぞいな扱いを受けたりする。そして、彼女は過去に上司のセクハラを告発して逆にクビにされてしまった経歴を持っているらしい。イラン、息苦しすぎる…。そんな被抑圧者の象徴でもあるラヒミと抑圧者サイードとの攻防を描いた中盤はきわめてスリリングなのだけれど、わりとあっさりとケリがついてしまう。
よくあるサスペンス映画なら犯人が捕まってメデタシメデタシとなるところですが、本作の監督アリ・アッバシはその先を行きます。そしてこここそがこの映画をもっとも他の作品と差別化しているポイントだと思う。いくら社会的に差別されてきた娼婦だとはいえ、女性を16人も殺したんだからそれ相応の報いを受けて当然だろう、とこちらが思っているとなんとこのサイード、不浄な人間を大量に始末した英雄として社会から(特に男性から)崇め奉られてしまいます。男尊女卑ここに極まれりってな恐ろしい展開です。さらにひどいのが、被害者と同性である彼の妻や彼の子供までもがサイードのしでかした所業を肯定しまくる始末。なんだけどこの構図、イスラム社会でしか起こり得ない特殊な出来事なのかというと別にそんなことはなく、タイムリーなところでいうと西武の山川のわいせつ致傷疑惑事件のなかで似たような光景を目の当たりにしました。加害者の山川にではなく、なぜか被害者の側に対して多くの西武ファンからハニトラだの美人局だの女の小銭稼ぎだのいう心無い誹謗中傷が寄せられる、とかいうイカれた光景が。この状況下では、「レイプはアカン」という周知の道徳観念よりも、「俺たち西武ファンの大好きな山川がそんなことをするわけがない、いやさ仮にレイプしていたとしてそれの何が悪いのか」みたいな、自らが帰属する集団にとって都合の良いイデオロギーの方が勝ってしまうわけです。加害者が右派論客だからという理由でネトウヨからボロクソに叩かれた伊藤詩織さんの事件も思い出してしまった。このことを本編の用語でいうなら、「サイードは神からこの使命を賜ったのだし、娼婦は不浄な存在だからいくら殺しても罪にはならないのだ」などといった、イスラムの宗教観とミソジニーとが結託した醜悪きわまりないキメラのようなロジックでもって16人もの人間を殺害したことを社会全体で正当化してしまっているわけです。
ところが映画をよく見てみると、サイードが娼婦を殺すようになったのは、でっち上げた使命をバカ正直に信じたからなどではないらしいぞ、ということがわかってくる。彼は退役軍人なのだけれど、「お国のために前線で頑張って戦ったオレ様が今のしょうもない仕事なんぞに甘んじているのはおかしい」と言って不遇をかこっています。他方、娼婦の死体の首筋の匂いを嗅いでエクスタシーに浸る場面やなんかもあって、彼が殺した女性に性的興奮を覚えていたこともわかる。必ずしも機械的に使命を遂行したわけではないわけです。するてえとあら不思議、ことここに至って、イスラム教を異常解釈した単なるサイコパスでしかなかったはずのサイードが急に身近な人間に思えてきます。「特別な何者か」になることができなかった自らの境遇を呪い、その怨嗟を社会的な弱者にぶつけて憂さを晴らす。恐ろしいほどそっくりな事例が今まさに日本でも起きてますよね(笑)。ただ、サイードに関しては奥さんや子供がいてちゃんと職にも就いているので、一般的には勝ち組の部類に入るんでしょうが…。
本来ならサイードに判決が下されたところで映画を終わらせても良かったと思うんだけども、アッバシ監督は非常に底意地の悪いエピローグを付け加えています。マシュハドを発っていくバスの車内。ビデオカメラを手にしながら一連の事件にまつわる映像群をザッピングしていたラヒミでしたが、とある人物の映った映像が目に止まり、ためしにそれを再生してみると…。サイードひとりが裁かれたところでこのシステムは決して止まらないし、さらに悪いことに…という、身の毛のよだつような結末。自分が今何をされているのか、そしてそれは一体何を意味するのか、そんなことを知る由もないあの女の子の無邪気な表情が脳裏に焼き付いて離れない。
ambiorix

ambiorix