カラン

聖地には蜘蛛が巣を張るのカランのレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.0
聖都の夜、路上の女たちがバイクの男に連れられて、死んでいく。。。

☆都市を隠す 

イランの首都テヘランに次ぐ大都市で聖都のマシュハドで、2000年から2001年に娼婦を16人連続で殺す事件が発生したようだ。その事件に着想を得た監督のアリ・アッバシはテヘランで生まれたが、大学はスウェーデンンのストックホルムで、その後は30歳になる前にデンマークの映画学校に入学した人であるらしい。事件はアリ・アッバシがテヘランの大学にいる頃のことのようだ。娼婦の連続殺人犯を英雄扱いする人々がでてきて、女性蔑視の風潮とあいまった異様な展開をとげて、かなり強い衝撃を受けたらしい。

本作はデジタル撮影である。製作国はドイツ、デンマーク、フランス、スウェーデンとなっているが、舞台はマシュハドであった。1回、いや2回、聖なる領域の門や壁が映るが瞬間で切って光源の流れだけであるので、迫力も存在感もないし、接近した状態で環境が映っても、ぼかされてしまう。観ていてとても不満であったが、アリ・アッバシもイラン国内での撮影をなんとか行おうと嘆願したが許可が下りなかったようだ。

紆余曲折の末に、アラビアのロレンスからインディ・ジョーンズまで種々の撮影が行われてきたヨルダンとなったようだ。ヨルダンの首都アンマンで撮影し、必要に応じてイラン的な美術を作って撮影したとのこと。アリ・アッバシはそれでも連続殺人鬼を生み出した聖都マシュハドであると感じられなかったのであろう。街並みが見えるロングショットは皆無で、映っても夜であるのか、ソフトフォーカスにしてぼかしてしまう。カラーグレーディングで相当に手を入れているので、独特さと異様さを併せ持った色彩にして、イランの聖都でないことを感づかれないようにと奮闘する。

☆都市が隠す 

イランの聖都で、街娼たちを夜な夜な絞殺してまわる連続殺人鬼をジャーナリストが追う本作は、リチャード・フライシャーの『絞殺魔』(1968)とよく似たログラインになるはずだろう。フライシャーはスプリットスクリーンを使ってボストンの街を複数の監視カメラで追跡し、その眼差しを同時に複数展開していたのであった。1つのスクリーンを分割するので、犯人を都市が覆い隠しているのがそのまま視覚化されていた。

『聖地には蜘蛛が巣を張る』の犯人は退役軍人の中年男である。この男が街で女たちを引っかけ、バイクに乗せて、自室で絞殺して、カーペット等で包んで、またバイクで人気のない場所に運び、遺棄するを繰り返して、16人である。300万という人口を誇る聖なる大都市で、ヘルメットも被らず、バイクで女を拾い、殺して、捨てるという犯行を繰り返すのは、あまり映画を観慣れていない人でなければ、普通に逮捕されておしまいになるだろうとしか思えない無防備さである。都市は男を隠せていないのだ。聖都マシュハドが男を隠すのでなければ、映画は緊迫を生み出すことはできない。

男を演じる役者は中年というよりも初老に近い見た目である。そもそもこの男1人が異様な強さや狡猾な知力を持っているということでは全くなく、ミソジニーの大蜘蛛が蔓延る聖都マシュハドこそがこのような、平凡な男を凶悪なるシリアルキラーに変貌させていたのではなかったか。しかし、残念ながらこの映画には、男を都市の闇に隠して凶行が永遠的に続けられることになるのかと、不吉な予感をさせるような都市の圧力はない。話は単純である。ヨルダンの地で仮想のマシュハドを監督は信じられなかった。それがこの映画がソフトフォーカスによって都市を隠してしまい、都市に男を隠させる力を奪ってしまうという結果に繋がるのである。

凄まじいSEを惜しげもなく全編に配置してくれて楽しかっただけに、とても残念だ。本作はマシュハドが主役であるが、簡単に反撃できる小汚い狂信者の男になってしまっている。


レンタルDVD。画質も良いし、音圧が非常に良い。
カラン

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