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あちらにいる鬼のnnのレビュー・感想・評価

あちらにいる鬼(2022年製作の映画)
3.4
オンライン試写会にて鑑賞。
ワタクシ、文学にせよ映画にせよ、なんなら人物ですら、不倫にまつわるもの(人)は避けて生きるようにしている。
それなのに、トヨエツ見たさで応募して、当たってしまったので、観る。
う〜む・・・
全く理解できない世界であるが、実際この世にはトヨエツのような人というか、女たらし男たらし、総じて人たらしな人って存在するのだろうなあと思う。
BSの「にっぽん縦断こころ旅」の火野正平氏とかそうなんだろう。
「たらし」と、「だらしない」の「だらし」って関係あるのかなあ。
いや、今、火野正平氏の次にもう一人くらいモテ男の名前を挙げようと考えて、ふと浮かんだのが東出昌大氏。
火野氏は年齢や風貌などから、もうワタクシが胡散臭さとかを感じなくなってるのかもしれんが、東出氏はまだ若いから生臭さを感じてしまうのかも。
女たらし男たらしはマイナスなイメージがあるが人たらしって言うと一気にプラスになるのはワタクシだけ?
火野氏はここの域に達してきた気がする(いや、個人的にはまだキャーっ火野正平よっっとは駆け寄れないが)
東出氏は単に女にだらしなくて責任感がないだけに思えるから却下した。

いや、ここでモテ男について考え込んでもしょうがない。
ただ、この映画のモデルになった作家井上光晴氏と言う人物が、妻からも愛人達からも愛想尽かされない理由がわからんと思うのだ。
特に優しいわけでもないし、「女の捨て方」もえげつない。
もっと言えば女の拾い方もえげつない。
なんども自殺未遂した愛人がその後、癌で亡くなって、その後、その愛人の妹にも手を出すって・・・
いや、その前に、自殺未遂した愛人が入院してる病院に、慰謝料?入院費?のお金を、妻に持って行かせるあたり、人非人以外の何者でもないだろ。
そして、それを持っていく妻も、異常。
優越感?
憐憫の情?
途中、妻が愛人のことを同志みたいに思ってる風なこと言うシーンがあって、ああ、こういう女の人と、愛人気質の人と、多情の男のトライアングルが文学を産んだり犯罪を産んだりするのだなあと思うことであった。

そして、この原作を書かれたのが井上荒野氏。
井上光晴氏の娘であり、その後、瀬戸内寂聴氏とも交流を結ばれるというところに複雑さを感じる。
で、今ちょっと検索して、、、
ここがワタクシの甘いところだが、自分よりずっと年下のお嬢さんだと思ってた、井上荒野氏のこと。
ワタクシより年上だった。
そりゃそうだよな、瀬戸内寂聴氏が亡くなられたのが99歳。
そして、井上荒野氏が語る父親像を少し読むと、娘を可愛がり、娘を恐れる普通の父親が見えたりして、ますます困惑する。
そして、原作を読んで見たい気持ちになる。
読んだらまた感想書きます。
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