ぜろ

ゴールデンカムイのぜろのネタバレレビュー・内容・結末

ゴールデンカムイ(2024年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・あの舘ひろしでもう3本別の映画撮れるじゃん?
・尾形、無事大怪我フィニッシュ 次回に期待
・みたらし団子で机に文字書くのって実写でやるとあんなに気持ち悪いんだなって…
・コミックス3〜4冊分ぐらい? 二瓶が出てこないぐらいなのでこのペースで全部やるのは現実的でないと思う しっかりやっているのはとてもいいがしっかりやりすぎて翻案としてどうなんだみたいな気持ちにならなくもない。
・でもこう、ひと昔まえくらいのこの手の実写化にあったプラスチックみたいな感じは全然ない。原作好きな人は喜ぶと思う
・しかしやっぱりアイヌの役は同じルーツの人がやるべき。映画にすることで、作中の時代から地続きになっているであろう今のアイヌルーツの人たちをスクリーンに映す大きなチャンスで、漫画にはなかった新しい良い方向の文脈が生まれたかもしれなかった。この芯の部分もやり切って欲しかった。
・劇伴すごい良かった
・冒頭の二〇三高地は文脈上あんなに高らかな音楽つけなくてもよかったのではと思った。アイヌ文化描写は非常によく再現されているんだろうけど、そうなると作中のもう一つの柱である戦争や日本軍をどう描くかというところが目立ってくる。再現性、正確性で評価されているなら、その要素の扱い方までがんばってほしい。この先の続編があるなら、鶴見をただかっこよく映すだけではだめだと思う。


 泣いたところが一箇所あって、杉元がアシㇼパのコタンに行くとアイヌ語には日本語の字幕がつくんだけど、フチが杉元の手を握って話しかけるところでは字幕がついていなかった。漫画の方でもここはそうなので当たり前と言えば当たり前なんだけど、映画に出てくる多言語の何に字幕をつけ、つけないかという扱いはけっこうその言葉とそれを話す人たちの印象に関わる。字幕をつけずに演出次第でその人たちを善人にも悪人にも、恐ろしくも無知にもできてしまう。
 こういう点で、『ゴールデンカムイ』はアイヌ語の日本語訳が欠かせない映画だと思う。漫画もそうだけどアイヌ語の監修がちゃんとついて、彼らが何を言っているのか正確に読者や観客に伝わるようにしなければならない。アイヌ語を、自分に馴染みのない言葉を、得体の知れない言葉のように扱ってはいけない。
 しかしその前に大事なことがある。それはアイヌ語を知らない人がアイヌ語を聞いて、なんと言っているのか、何を伝えようとしているのか考える、推し量る、言葉がわからなくても尊重するということだと思う。杉元はアイヌ語がわからないけど、フチとフチの言っていること尊重し「わかろう」としていたんだな。字幕をつけないことはさっきの文脈だとリスクになり得るけど、あの場面は字幕なしの意味がちゃんと伝わってきてとても良かった。私は漫画を一回読んだだけだとここまでは捉えられなかった。

 一回原作を読んで映画を観てというだけでは勿体ない情報量のコンテンツだなと思った。どんな作品にも言えることだと思うけど、原作も映画も手放しに褒めて肯定するのではなく、これに触れて学びまた読み返して、誰かと話し合ったり一人で考えたりしたい。
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