オープニングのホテルのシーン、娼婦と客の顔にモザイクをかける演出で、もう心を持っていかれる。
全体としては、物語性の否定のよう。
ウサギの着ぐるみを被った人間たち、ロコモーションギャルズ、電球を咥えた隣人、片足の女性など、意味を問う前に通り過ぎていく。必然性を知る前に、次のシーンを観ている。
どれかひとつの解釈をすることはできるし、ふたつの事柄を結びつけることもできる。ただ、それは恣意的な陰謀論に過ぎない。全てをつなげても世界を説明したことにはならないし、人生の役にも立たない。
ハリウッドとポーランドという2つの世界の存在を描こうと世界はひとつしか存在しないし、現実と想像と想像の中の想像まで描こうとひとつの現実を生きるしかない。
微かに理解できたと思ったら、どこにいるのか分からなくなって動揺する。
エンディングで流れる、ニーナ・シモンの『Sinnerman』ですべてどうでも良くなる。