このレビューはネタバレを含みます
気になったことを書きます。
・最後、車内に残された4人の身分をあかす品々。彼ら「遊歩道で出会った」って3回も(強調)言っているんですよ。
遊歩道で出会い、その後1台の自動車に乗り込んだと解釈できるかもしれませんが、冒頭シーンから明らかに徒歩で来たという印象操作が有ります。そして最後、小屋から離れたところに隠すようにクルマが有ります。
これは、彼らが嘘を付いているということを表現しているのではないでしょうか?
・ことが済み、最後に立ち寄る店でテレビに釘付けになっている一般客達。彼らは今起こっていることが、生け贄1人で防げたなんて思いもしません。なぜなら事故や自然災害だから。
ただし観客の我々には自体の収束を見せることで、「世界は救われた。彼らは正しかった」と思わせるような演出がなされています。
そして最後に車に乗り込み『彼らは自己紹介どおりの人物でした。レドモンドも名前以外は嘘ついてないよー。ちゃんちゃん。』と遺留品で明かされて終わってしまいます。
この遺留品シーンのせいで『4人はマトモだった』って側に印象が全振りしちゃってるんだけど、身分に偽りが無いというだけで、彼らがマトモで世界を救ったのだ、と解釈するのは早計かなって思うのです。だってそれは精神を病んでないという証明には全くならないから。
つまり、この作品では、彼らが妄想に取り憑かれた狂人だった可能性を巧みに残しているんじゃないか?ってこと。
彼らが神の啓示を受けて来た本物の使者だったのか、本当のことは誰にも(生き残ったアンドリューにさえも)分かりませんよ、調べる術もありませんよね、っていうオチが裏に隠れている気がします。
個人的には、シャマランは『そういうことする奴』だと思ってます。
ちなみに、ネットによると本作は黙示録の七つの災いについての知識があるとより一層解釈の幅が広がるっぽい。イナゴの大発生を暗示してたりとかね。
長文たいへん失礼しました。