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K.G.F:CHAPTER 1のambiorixのレビュー・感想・評価

K.G.F:CHAPTER 1(2018年製作の映画)
3.5
去年リアルタイムで『RRR』を見たさい、生涯ベスト級の衝撃を受けた、と同時に「俺が生きてる間にこれより面白いアクション映画と出会うことはおそらくないんだろうな」みたいな、一抹の寂しさをも感じてしまったわけですけど、この前行ったヒューマントラスト渋谷に貼ってあったポスターの煽り文を見てびっくり仰天、そこには「『RRR』を超えるインドNo.1ヒット!」とあったので、思わず目を疑ってしまった。あれ以上に客の入る映画が存在するのかと。しかも同じ年に。こんなんもう行くしかないじゃあないですか、ってんで、日本最大級のパキスタン人コミュニティ、通称「ヤシオスタン」のお隣にあるMOVIX三郷でインド史上最大級のスマッシュヒット映画を見てきました。ちなみに、厳密にいうと年間トップに輝いたのは本作の続編にあたる『K.G.F: CHAPTER 2』のほうで、こちらは連休明けあたりに見てみようかと思います。
一般的にインド映画といえば、洗練された都会的な作風の映画が多いヒンディー語圏ムンバイのボリウッド、S.S.ラージャマウリ監督を中心に近年ボリウッドと肩を並べつつあるテルグ語圏ハイデラバードのトリウッド、そして90年代の日本にマサラムービー旋風を巻き起こした『ムトゥ 踊るマハラジャ』でおなじみタミル語圏チェンナイのコリウッド、この3つが思い浮かぶかと思います。ほかには、今年公開されて評判を呼んだ『エンドロールのつづき』はグジャラート語、2021年のアカデミー賞インド代表に選ばれて世界に衝撃を与えた『ジャッリカットゥ 牛の怒り』はマラヤーラム語、この前見た『裁き』という裁判コメディ映画にはマラーティー語なんてのが出てきたし、元をたどれば日本で最初のインド映画ブームの火付け役となったサタジット・レイの映画はベンガル語…などなど、ひと口にインド映画といっても各地域=言語でもって多種多様な作品が作られています。しかしそれらと比べても、本作のようなカンナダ語の映画というのはかなりマイナーな物件だと言えるでしょう。実際に『K.G.F』シリーズが突然変異的に出てくるまでこの地域の映画は見向きもされておらなかったようだし、日本に輸入されたカンナダ語の作品というのも本作が初めてのようです。そんなマイナーな地域で作られた映画がいきなりインド全土の興行収入記録を塗り替えたわけですから、これはとんでもない事件なわけです。野球で例えるなら、キューバとドミニカに挟まれた野球弱小国ハイチからメジャーリーグのMVPをとるようなすごい選手が出てきた、みたいな快挙です(地理的にみるとカンナダ語映画の拠点であるサンダルウッドは御三家のボリウッド・トリウッド・コリウッドに挟まれるような形になっている)。
まず特筆すべきは、凄まじいまでの語り口のスピード感・テンポ感でしょう。とにかく演出に間や緩急といったものがいっさいなく、さしたる必然性もないのにひたすらカットを割りまくります。もはや映像の線状降水帯。比較的叙述テンポの遅い会話シーンでさえ、ひとりの人物がワンセンテンス喋り終える前に「発話する人物のショット→相手の切り返しショット→発話する人物のショット→2人をおさめた引きのショット→発話する人物のショット→発話する人物の別の角度のショット」てな具合に目まぐるしく画面が切り替わる。ここは好みが真っ二つに分かれるところかもしれません。過去の映画でいうと『ハンガー・ゲーム』や『マッド・マックス 怒りのデスロード』の強迫症的な編集をさらにせわしなくした感じ、といえば未見の人にもなんとなく分かってもらえるかと思います。なので、仮にあなたが「おれはテオ・アンゲロプロスやタル・ベーラの映画が大好きなんだ!」みたいな嗜好をお持ちの方なら確実に合わん作品でしょうし、個人的にもニガテなタイプのやつで、始まって5分ぐらいで早くもつらくなって帰ろうかと思った(笑)。映画評論家の篠儀直子さんが「(2本合わせて)5時間の予告編だ!」といって本作を評していましたが、まさしくその通りだと思います。文字通り予告編で使えそうな見せ場的シーンだけを繋いで繋いでいびつにパッチワークして154分の映画に仕立てた作品だ、といっても過言ではない代物なので見ていてものすごく疲れます。
お話の構造もなかなかに複雑。基本的にはタイトルにも冠された「コーラーラ(K)・ゴールド(G)・フィールズ(F)」という名前の金鉱をめぐって進行するわけですが、まず物語のいちばん外側のレイヤーに現在(2018年?)の時間軸があって、そこから大文字の歴史から葬り去られてしまった一連の事件を回顧していく、といういわゆる入れ子の構造を本作はとっています。入れ子の中には、主人公ロッキーとその母との思い出を描いた1950年代の時間軸、成長してチンピラになったロッキーの視点を中心にした1978年の時間軸が挟まる形になるのですが、語りの視点はこれら3つの時間軸の間をこちらの断りもなしにポンポン飛び回るのでことによると途中で付いていけなくなってしまう人が出てくるかもしれません。
本作最大のみどころは、カンナダ語映画界が誇るロッキングスター、ヤシュの繰り出すアクションシーンのつるべ打ち…のはずなのだけれど、肝心のアクション場面にきても例のMTV演出がまったくブレないのでいまいち気持ちよくなれないんですよね。動きの要所要所にスローモーションやキメ絵を入れてマンガのようにババーンとかっこよく見せる、いわゆるS.S.ラージャマウリ的な画面作りとは対極です(後半の一部分だけちょっとそれっぽくなりますが)。『バーフバリ』の椰子の木ジャンプや『RRR』の肩車アクションのように一発で脳裏に焼き付いてしまうような強烈な絵面が少なかったのも残念だったかなあ。強いていうなら、終盤の金鉱内におけるマッチの火を小道具に使ったバトルシーンのアイデアは素晴らしいなと思ったんだけども、そこでもやっぱりあの演出が前面に出てきて画面に集中させてくれないという(笑)。最後の最後まで語り口が映画の足を引っ張っていたように感じましたね。
というわけで、全体的に辛口なレビューになっちゃいましたが、とはいえ面白いか面白くないかでいえば間違いなく面白い映画ではあると思います。自己中心的で出世のことしか頭になかったロッキーが奴隷たちと一緒に過ごすことで慈愛の精神に目覚め、今まではもっぱら人を傷つけるために行使してきた自身の力を反転させ、弱者を守る方向へとシフトしていく終盤の展開は激アツ。なかでもガルダへのフィニッシュブロー、得物を持ったロッキーが水の中からヌッと出てくる模様をスローモーションでとらえたショットが非常にカッコよく、ここは間違いなくのちのラージャマウリにも影響を与えているはず。続編の『K.G.F:Chapter2』では新たに金鉱のボスになったロッキーの姿が描かれるそうなのですが、一時は虐げられる側にいたロッキーが虐げる側に回って弱者相手にどう振る舞うのか、最後に打ち切りマンガみたいなノリでぞろぞろ出てきた裏社会のボスたちを残りの尺でどう料理してみせるのか(少なくとも6人はいた)、気になるところではあります。しかし同時にあのミュージックビデオ演出をあと166分も見なきゃならんのかと思うと今から頭が痛い…😖
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