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DEAD END RUNの教授のレビュー・感想・評価

DEAD END RUN(2003年製作の映画)
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毎度毎度感想は同じく。
特に「面白い」映画ではないし「万人に薦める」という感じはまったくない。
僕は石井聰亙(岳龍)監督には心酔しているし、最大限のリスペクトは感じているけれど、そしてこのリスペクトは、きっと石井監督にも不本意な形の感情であることは自覚している。

ただ、僕にはあまりにもバカバカしくて、カッコよくないけれど、映画の純粋性にのみ突っ走っていく躊躇いのない映画づくりの一点において心が動かされる。

1話約20分程度の3話のオムニバス。
「走る」ことがテーマ。
という…映画学校の実習課題のようなテーマに、作品自体のクオリティも、正直言って「学生が撮りそう」な出来。
当然「パッと見」のスタイリッシュな映像センスや相変わらずキレのある編集センスと、伊勢谷友介、永瀬正敏、浅野忠信といった、特に当時「旬」のある方面での「ファッション」としての座組で「カッコいい」と言われる部分もあると思う。

しかし僕は敢えて言うけれど、それらはあまりにダサいしカッコ悪いと思う。
派手なロングコートや、拳銃や、それこそコメカミに銃口を自分で突きつけたり、特に今の時代の価値観の目が入れば「イタイ」表現の応酬。
ともすれば「浅い」と思う。

少なくとも2002年当時は、さすがにもう使い古されていた感じもあり、その点は擁護はしない。

ただ、映画製作というつくり手の立場、視点に立って、これらのシーンを撮影する醍醐味。バカバカしく思えるひとつひとつのショットやエピソードに対して、この旬の俳優たちが、生真面目に演じているという映画の持つ「作りもの」に「命を吹き込む」為に、恐ろしい集中力でのめり込む様が透けて見える。

それこそ「自主映画」のノリで、自分たちがのめり込む「カッコイイもの」や「表現したいもの」を形にしていく様。
それは僕のように「ダサい」と感じたとしても、自分を信じて「よーいスタート」から「カット!」と叫ぶ間の時間が生む虚構。
そういうものの楽しさは、充分に伝わってくる。

間違えて殺した女(粟田麗)が何故か起き上がり歌い踊るミュージカル調のシーン。
永瀬正敏の銃口を突きつけたままカメラの方を向いて睨みつけるケレン。
浅野忠信と市川実日子が高所から転落しながらの数秒の時間が宇宙的にスパークする超次元的な世界。
それらは「映画を撮る」ことによって吐き出したくなる衝動や欲望に根ざしている切実なもの。

ダサくても、笑われても、そういうのがカッコいいと思ってしまう。ついつい撮ってしまう。
という衝動的な美学に、ニヤニヤが止まらなかった。
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