kuu

呪詛のkuuのレビュー・感想・評価

呪詛(2022年製作の映画)
3.8
『呪詛』
原題:咒 / Incantation.
製作年2022年。上映時間115分。

『リング』や『呪怨』などJホラーの影響を受けた台湾のケビン・コー監督が作り上げた傑作ホラー。
モキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)、フォークホラー(田舎の部落で起こる恐怖)、ファウンド・フッテージ(発見された恐怖映像)などさまざまな要素が高次元で融合した台湾産作品。

リー・ルオナンは6年前にとある村落でタブーを犯してしまったと視聴者に告白。
娘への呪いを解くために協力してほしいと画面に向かって呼びかける。
ルオナンは里子に出していた娘・ドゥオドゥオを里親のチーミンから引き取って一緒に暮らすことに。
しかし、ドゥオドゥオの身辺で超常現象がいくどとなく巻き起こる。
ルオナンは呪いを解くためにチーミンと村へ向かうが驚愕の事実が待ち受けているのだった。。。

今作品は何やら盛り上りを見せてたし、ちょい脇目に半信半疑で視聴開始。
冒頭から
観覧車の左回り右回りの錯覚を使った画像やら、オドオドろしい動画の数々。
また、今作品を見て思い出したのは、
『10人に渡さないと家族が不幸になる』
なんて類いの、日本では『不幸の手紙』と一般に云われたもの。
これが流布し、定着し始めた頃に良くオカルト系雑誌『ムー』にもよく載ってたし、届きこそしなかったが恐れた。
『ドラえもん』でさえ取り上げてた曰く付き社会現象に。
横路に逸れまくりますし、『ドラえもん』のエピソードは末筆に記載しときますのでお時間ある方はどうぞ👇️。

扨、今作品にもどります。
※この映画は小学生向けではありません。
今作品はモニュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)という枠に嵌めざるを得ないですが、その辺については、さほど気にならなかった。 
今作品の前後のショットの大きさもさることながら、説得力があるのは、俳優陣たちが、自然な演技だったし(それを巧いと云うのかな)、あり得ない話しながら、妙にリアリティーがあった。
後半からは音色の揺らぎの一つ一つが非常によくできてた。
個人的には今作品は恐ろしゅ~て、それていて妙に懐かしきホラーで嵌まりました。
逃げ場がないもんなぁ一人見じゃ。
これは怖い。
儀式、
呪い、
家族、
母娘関係、
そして超常的な存在。
今作品が台湾映画の文脈に位置づけられるのは、単にホラーという理由だけではなく、中国映画における、愛こそ至高ちゅうテーマへの反発があるんかな。
今作品は、アジアンホラーの不気味さにおいては群を抜いてました。
また、台湾ホラーの頂点に立つ作品かなぁと無知ながら思います。
個人的にアジアのホラー映画の俄ファンとして、この種の映画は、不必要なゴアやジャンプスケアとは対照的に、ストーリーテリング、雰囲気、文化的要素に依存しているため、よく見てきてるホラーとは異なる印象を与えられました。
また、そのアーティスティックなスタイルに、
不快感を覚えるイメージ、
興味深い儀式的な切り口
それらによって、呪われたような感覚を誘発することに成功している。
ただ、ゴチャゴチャした構成が玉に瑕ながら、この体験を高めるのに大いに役立ったと思う。
今作品を気に入るかどうかは、完全に観る側の好み次第かな。
とても興味深く、楽しめた作品でした。

無知故に誤りばかりかも知れませんが呪詛で思うことを徒然に。

呪詛は他人に災禍を与える呪いであり、
逆は、呪(しゅ)と呼び、一般的には祝福と呼ぶ。
また、そのどちらにも使われている『呪』は、サンスクリット語が語源で、元はマントラ(मंत्र Mantra、漢字なら曼荼羅)であり、アジアでは呪(しゅ、咒とも書く)と訳される。
日本においては『真言』なんて言葉で密教系の僧侶たちに主に使われてる。
故に、家内安全だったり、幸福祈願なんてことに唱えられる事が最近の傾向かな。
80年代に流行った漫画原作の、パート1では三上博史、パート2では阿部寛が主演を務めた『孔雀王』を愛されてる方ならお馴染み、主人公の唱える呪文も呪
オン(南無は、何々に帰依するって意味合い)アビラ ウンケン ソワカ
は、大日如来(仏さん)に祈るときの呪。
地水火風空を表し、ソワカは、成就の意を表す。
また、
ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン
って、その世界ではメジャーな不動明王の咒などが挙げれる。
今作品の
ホーホッシオンイー シーセンウーマは、『福倚伏 死生有命』がなまったものだし、正直、仏教系と違う何かを掛け合わした言葉なだけで、実際、なんで怖いのか冷静になったらわかるんやけど。
禍福倚伏 死生有命は、確か、儒教で出てきた言葉やったような気がします。
禍(わざわい)は福の倚よる所、福は禍の伏す所なり。
かな。
せやし、禍福は、災いと幸せ、倚伏は、災いに幸せの、幸せに災いのもとがひそみ、死生有命は、生と死には運命があるってことやし、まぁ道理を説いてるだけやし、なんて怖かないが、作中の云い回しが妙にこわい。
日本語では意味が違うがことわざみたいなもんやろし、
『人を呪わば穴二つ』
みたいなことわざ連呼しても怖くはないのになぁ。
訛って、
『ヒト~ヲ ノロハバ~ ア~ナ~ フタ~ツ~』
やっぱり怖くない。
実際の呪について続けますが、これら、マントラは、もともと古代インドで賢者や僧侶が使用していた言語と云われてて、インドから中国を経由して、空海により日本に伝えらた(厳密には既にマントラの切れ端的な簡単な呪は最澄以前に修験者に伝わってたが、有名なとこじゃ役行者かな)。
『マントラ』とは、2つのサンスクリット語から成り立っており、
『マン』は考える、
『トラ』は呪縛やネガティブ思考から身を守るという意味で、解放するという意味も持つ。
(猛毒を持つヘビを食べるクジャクを見て、毒蛇に対抗したクジャクの呪が生まれ、猛毒を持つ蛇を避けるためや、咬まれた折りなど、この呪を唱えて解毒治療したりした)
五感を通して反応する考えの基本となる部分を意味する『manas(マナス)」』が語源になっているともい云れててハッキリとした答えはまだ無い。
感情や心をコントロールするツールとして、マントラは古くから詠唱されてきた。
日本でも密教系の仏教宗派は意味を深く追及することなく、いまでも唱えられてる。
四国八十八箇所巡礼のお遍路さんたちがエエ例かな。
それぞれの札所でマントラを唱えてはる。
こないして、今、表だって唱えてるのはポジティブなモノばかりで、白魔術的な要素がつよい。
仮にこのポジティブな呪で願いが叶うなら、逆の黒魔術的な呪詛、つまり他人に災禍を与える言葉だって存在することになる。
個人的には、諸々は本人がよくなるなら、気分良く1日過ごせるなら、めざましテレビの占い程度に信じるのがエエ加減なんかとは思てる。
人を呪わば穴二つ。
己の祝福届かず。

徒然第二部
ドラえもん
『郵便逆探知機~』タイトルシングル🎵

なんと悲しき哉、
のび太くんのところに
『同じ手紙を29人に送れ』
と書かれた
『不幸の手紙』が届く。
定番の29人を採用しとるのは藤子不二雄やるな!
ドラえもんは、
『ドントウォーリー』(和製英語ではなかったが)と手紙を破く。
ビビリの、のび太くんはビビリまくり、その恐れ戦く彼を見たドラえもん。
見かねて、便利な道具『郵便逆探知機』で差出人を特定。
差出人は、まぁ予定通りのスネ夫くんの悪質なイタズラやとわかる。
さらに逆探知を進めて、スネ夫くん以前の媒介者もすべてリスト化したドラえもん。
この執念は古参の第1課のポリス並み。
のび太くんは、そのメンバーたちに、リスト付きで『不幸の手紙』を送る。
要は、こないなイカれたイタズラは、好きな仲間内だけでやれよなぁーと。
リスト内のメンバーが互いに手紙を送り合う事態となり、次々に『不幸の手紙』が舞い込むようになってしまったスネ夫くんが、書いても書いてもきりがないっとパニックになって泣き叫ぶ。
おしまい。
藤子不二雄はヲチが巧い。

まぁ兎に角、どうでも良いことを含めて妄想、空想、想像の膨らむ作品でした。

kuu

kuu