春とヒコーキ土岡哲朗

呪詛の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

呪詛(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

恐怖が観客に降りかかるよう綿密に作られてるのが、陰湿。

観客への呪い。この映画の一番の特徴は、ラストで発覚する仕掛け。冒頭、娘を呪いから救いたい母親が、観客に向けて語り掛ける。「どうしても娘を救いたい」。実際はビデオカメラに向かって語っているというシチュエーションだが、こちらに向かってしゃべられている気分で見る。この自分の子供を救いたい母親の必死さのホラーには覚えがあり、ピンときた。『リング』の結末だ。松嶋菜々子演じる主人公が、息子を呪いから解放するため、自分の父に呪いをうつすべく呪いのビデオを持って実家に向かうラストシーン。それを思い出し、冒頭で、もしかしてこれは、主人公が娘を救うために我々観客に見せている呪いのビデオなのでは、と察した。そしたら、やはりそうだった。主人公は娘を救うために、見たものに呪いをかける映像を撮っていたのだ。

全編がビデオカメラや町の監視カメラの映像という設定。途中で主人公の顔の上にカーソルが出たり、主人公の動きが固まって「あれ、映像が止まった?」と誤解する瞬間が何度かあったりした。だが、それも我々をあえてフィクションの世界に没入させずに、「映像を見ている」自覚を持たせるための罠。終盤で、呪文を長々と見せられたあとに画面が真っ白になったとき、さっきまで真ん中に映っていた紋章がずっと目に焼き付いている。これは「刻み込んだからな」という脅し。不憫な親子に同情し、どうにか彼女たちに呪いから脱してほしいと思った我々に、主人公は呪いをかけ、善意を踏みにじる。映画全体が呪いのビデオだという仕掛けを最大限絶望的に我々に食らわせるためのストーリーだった。

娘との生活に呪いが浸食している現在パートと、宗教の村でタブーを破り祟られる6年前パートが交互に展開する。ホラーでありがちなのが、前半は日常の中で怪奇現象が起こるが、後半で呪いの元凶を突き止めるために奥地に行く構成。そういう映画を観ていて、たまに残念なときがある。せっかく前半は自分たちの生活に近い場所で怖いことが起きていてリアルだったのに、後半でそれがなくなってしまう。でも、この映画はそれを交互に挟んで分散させているので、終盤までずっと「町の暮らしの中の怖さ」も味わえる。宗教の村の人たちの挨拶ポーズも、人間の手でぱっとできるポーズなのに気味が悪いのがすごい。
最後、散々おそろしいとハードルを上げた神母像の顔をしっかり見せるのは、スタッフが怖いものを作ることに真っ向勝負しすぎでかっこよかった。