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唄う六人の女のsowhatのネタバレレビュー・内容・結末

唄う六人の女(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

【大人の「まんが日本昔ばなし」】

「狂わせたいの」系のエロ・グロ・ナンセンスのダークファンタジーを予想して観に行ったら、ちゃんとテーマやストーリーがあることにびっくりしました。

萱島(竹野内豊):東京在住のおしゃれフォトグラファー。恋人は美人。でもまだ父親にはなりたくない。父から相続したクソ山奥の一軒家を売り飛ばすために山へ。元々子供時代は山育ちだが、幼少時に父母が離婚しその後父とは関係が断絶している。クモを殺さない男。

宇和島(山田孝之):地上げ業者のエージェント。物腰は丁寧ですが、蜂を殺す男。彼は現代日本人代表のような男で、その後も無益な殺生を繰り返します。

二人が乗った車が事故を起こし物語が始まります。ストーリーは舌切雀、おむすびころりん、浦島太郎などでわれわれ日本人に馴染みの深い「異界訪問」。二人の男は森の奥の昔話に出てきそうな一軒家に監禁されてしまいます。そこには物言わぬ6人の女が。

刺す女(蜂の精)、濡れる女(ナマズの精)、撒き散らす女(シダ植物の精)、牙を剥く女(蛇の精)、見つめる女(フクロウの精)、包み込む女(ヤマネの精)。

この女たちの個性的な造形と人間たちとの交感の様子が本作の最大の見所です。江村耕市デザインの衣装も見事。ただただ見とれてしまいます。特に子供時代の川で溺れた萱島を救助し去っていくミズフクロウの精がカッコイイ!

異界訪問系の昔話ですと、いいおじいさんは宝物をゲットしますが、萱島は森を彷徨い、記憶をたぐりながら、二つの真相に迫ります。

一つは、妻に見捨てられ、人里離れた山奥で孤立して生きた父親の真の目的。この物語は父と息子の和解の物語でもあります。
もう一つは、宇和島たちの真の目的と風呂場で変死した父親の死の真相。この物語は大いなる陰謀を暴くサスペンスでもあります。

狩猟採集民の一部は「自然と交感する能力」を維持しているそうですが、現代の日本人であるわれわれは、とっくにその能力を失っています。それどころか自然は畏怖すべきものから征服、破壊すべきものへ。文明の発展や生活の欧米化とともに、日本人と自然との関係性も変化してしまいました。ただ、人間は自然がないと生きていけないけど、自然は人間なしで全然OKです。相互依存ではなく、一方向性の依存関係でしかありません。「自然を守る」ためには人間がそこに立ち入らないことが一番。本作の一部は京都大学フィールド科学研究センターが管理する「芦生研究林」で撮影されたそうですが、森の中に入るスタッフと機材は最小限にする、カメラを回すときにスモークなどは焚かない、環境を破壊しないようにガイドをつけるなど、相当に気を使われたそうです。監督はその後も植樹に参加するなど、森の保護と維持活動へ関わっているとのこと。森や自然に対する監督の思いが、画面の美しい自然描写を通して伝わってきます。

萱島が最期に悟った「人間の生まれた意味、理由」とはなんだったのか?シダ植物の精を見ながら萱島の父が言うセリフ、「人間もいつかはあんなふうに単為生殖するようになるかも知れんな」というのは、人間が別の進化の道筋をたどる可能性を示唆しているのでしょうか?あと、萱島の胸に生えてきた宝毛の意味は?このあたりはあまりに壮大過ぎて、私にはよく分かりませんでした。やや風呂敷広げすぎた感も。

萱島と宇和島は冒頭の自動車事故で死んだか、瀕死の重傷を負ってしまい、魂だけの存在となって異界である森をさまよった、本作はそんな解釈も可能なのではないでしょうか。私たちも山で生死の境をさまよう時には、あの女たちに会えるのかも知れません。
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