このレビューはネタバレを含みます
《それでも、プアン 友達と呼ばせて》
苦しいけど、やりきれないけれど、理解できる。
赦されないかもしれないけれど、自分本位だけれども、それでも友達と呼ばせて欲しい。
ガンという病気を抱えたから、赦されたい。そんな安易な贖罪ととらえられるかもしれない。それはずるいことだけれども、ウードの立場になると、彼の気持ちを考えると、そんな行動をとってしまうことは必然であると、理解できる。
「元カノ凱旋」という行為は、相手からすると本当に迷惑な行動であった。でもそれは本当に伝えたい人に、大切なことを伝えるために必要なことだった。
彼には、他意なんてなかっただろうし、それなら隠しておくこともできた訳で、打ち明けて、憎まれて、友達と思われなくなってもいいという覚悟があったはずだ。
ただ、せめて、僕からは友達と呼ばせてほしい。
彼のわがままをひきつれたロードムービーは、偽りだったかもしれない友情を認めさせた。大恋愛の齟齬は誰の責任にもないような気がしていて、この今の人生は、これまでのどんな出会いも、別れも経験も、どれか一つ欠けては成り立たないもので、人生におけるズレは、赦されるとかそんな次元にないような気がしている。少なくともこの映画では、そう言っていた。
秘密を一番大切な人に打ち明ける。それがその人を傷つけてきた秘密だったとしたら、言うのも憚られるだろう。
ウードが、自分の苦しみから解放されるという目的はもちろんあったのだろうが、一番の友であるボスの苦しみを抱えることは、彼には耐えきれなかったはずだ。
ウードが最期に残した言葉。ボスへの言葉。
「君の世界をみれてよかった。」
彼らが来世でも会えますように。
例えまた悲しい齟齬が生まれようとも、彼らならきっと、再会できるはずだ。
余談
劇場の予告で知り、観ようと思っていた作品。私の苦手なジャンルの「ロードムービー」だと予告の時点からわかっていたはずなのに、惹かれました。
鑑賞後も特に、その苦手な意識はありませんでした。とても感覚的な話なのですが、左から右へ進むロードムービーは苦手で、
右から左へ進むロードムービーは割と好きなのかもしれないと思いました。
なんのこっちゃあよく分からないと思うのですが、私にとっては重要な気付きであったようで、ここに残しておこうと思います。
🎵 NOBODY KNOWS