April01

ナワリヌイのApril01のレビュー・感想・評価

ナワリヌイ(2022年製作の映画)
4.0
まずは、お悔やみを申し上げ、死の真相の解明を待ちたいと思う。解明される日が来ることを願って。
彼の命を懸けた政治活動に敬意を表しつつも、感じたことは正直に書いておく。

政治思想的なイデオロギーの理論的なアプローチに欠けていた。
それを補完するインテリゲンツィアの素養がなかったことが、いい意味でも悪い意味でも西側にとって都合よい反プーチンの立役者として格好の駒となった。

彼のウクライナひいてはクリミアについての考えを過去に遡れば、現在のスタンスには敵の敵は味方が背後にありながら混乱は良くないと誤魔化してる感じも。

作品の最後に彼がチームとして暴露した「プーチンの宮殿 世界最大の賄賂」(Putin's palace The story of the world's biggest bribe)が紹介される。それを見てよくわかるのが、結論として、プーチンのモチベーションが金や女であると単純化に終始してしまっていること。あれだけの膨大かつ詳細な資料を提示しながら、そこにしか結論を持って行けないのかと非常に残念な気がした。

プーチンにとって、金は権力を得る過程と手段の副産物では。それ自体が目的でそれしかないとするのはどうかな。
敵を蹴落とすには、それなりの理論が必要。でなければ単なる私的スキャンダルの週刊誌ネタと代わらない。
ナワリヌイの主張は全正論なのだけど、政治力学をあまりにも単純化していて、社会がそんなに単純だったら苦労しないんだわ、という物足りなさを感じたのも事実。

特に歴史とか思想の視点が皆無。全く学問的な刺激を受けない。これならかつての日本の学生の左翼運動のアジテーションの方がよっぽど博識で聞きごたえあったよね、とまで思えてしまう。
要は単純にプーチンが金を自分のものにして、お気に入りに配ってオリガルヒと組んでプーチン帝国を気づいている私的流用がけしからん、国民にその富を分配し、そのために公正な選挙をやるべき。という、ただそれだけのこと。
それ以上でもそれ以下でもない、彼の言ってることは。もちろんそれが正しい社会の第一歩、非常に困難な目指すべき第一歩であることは事実だが。
なぜロシア国民がそれを許してきたか、なぜそれが実現できないのか、そしてもしそれが実現したとして、その先に進むべきロシアの未来像、これらの提示が全くない。

プーチンが彼の名前をメンションしないから、それくらい彼を恐れていたという解釈があるけれど、プーチンにしてみれば、その逆で、自分の方がはるかに上で、格下の取るに足らない人物の名前など呼びたくないという気持ちの表れ。その格下の取るに足らない人物に、色々暴かれてかき回されて国民の目が覚めかねないのが鬱陶しいのは当たり前。ましておそらく西側に物理的に支援を受けてるしね。それはいちいち名前を呼びたくもないでしょう。

世の中は支配と被支配だ、と単純化するならば、彼はたまたま被支配側にいたから、支配側をかき回す。もし彼が支配側にいたならば、彼のロシア民族主義が高じてレイシストの集会での壇上でのあの雄たけびは、むしろプーチン側で重宝されたかもしれない危うさを感じる。
支配側にいないからこその政治活動だとすれば、論理も思想も政治学も必要ない。まるで殉教者になるべくロシアに戻っていく姿に、そうするしかなかったという哀しさしか感じない。彼自身の選択というよりは、勢いに乗って突き進む若者のような。

本作の一番の見どころは、彼がインタビュー中に機嫌が悪くなって中断してしまう場面。ディレクターかアシスタントか知らないけれど、どうして?チェルノブイリ原発のことは話したくなかった?とかなんとかなだめて、彼は言葉を濁して席をいったん離れ、殺されることを前提に話すなんて云々とブツブツ言う彼らしくない場面。
あれは彼の本音が見えて秀逸だった。彼が死んだ場合を想定して、こんなドキュメンタリー作ってるのがミエミエなんだけど、彼としては嫌でもその流れから逃れられなかった。というより逃れたら彼の存在意義がなくなるしね。

彼の活動に心から尊敬の念を表する。けれど、彼もまた駒だったという思い、それが自分の思い違いだとしても、本作を観て、あの妻に向けたハートマーク、一瞬のお茶目なしかめ面、やせ細って手錠をかけられ警察に囲まれて歩く姿、それでも支援者からの声掛けにVサイン、さらに囚人として格子に腕をかけてこちらを見据え、それでもVサイン、一連の彼の精一杯の強がりに(強がりと思うのはもちろん私の思い違いかもしれない)胸が張り裂けそうになる。

つくづく自分は「個人の気持ち」にしか寄り添えないな、という自己反省も大いに感じた。
April01

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