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ヴィレッジのYACCOのレビュー・感想・評価

ヴィレッジ(2023年製作の映画)
4.0
ここのところ立て続けに公開している藤井道人監督映画のひとつ。
私が、藤井監督の映画を見るようになったのは2019年の「新聞記者」からなのだが、その後ここ数年で「ヤクザと家族」「余命10年」と全く異なる色の映画を手掛け、今作の「ヴィレッジ」である。その上、来月にも公開予定作が控えているという忙しさ。
まるで、これまで溜め込んできた何をブーストするように作品を作り続けている藤井監督だが、今作も見ごたえのある映画だったと思う。しかし、今作も万人向けの映画とは言い難い映画ではある。

冒頭に「邯鄲」という能が流れる。
自らの人生に悩む青年が、邯鄲で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、栄華を極めた五十余年を送る夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄粱もまだ炊き上がっていないわずかな時間であったことを知る。それに気づいた青年は、儚い無常の世の理を知り満足すると、故郷へ帰ってゆく。
この「邯鄲」という能が冒頭で示されることには意味があるのだろう。栄華の日々を過ごし、神仙の身を得た青年がふいに深い闇へと沈んでいったその顔に「ヴィレッジ」と重なるところが印象的だった。「邯鄲」を知っている人はこの時点で横浜流星演じる片山優の歩む道について示唆されたように思うのかもしれない。

閉鎖的な集落・霞門村が舞台となる本作。村社会で起こる事件を描いた映画や小説、漫画はこれまでにも多く作られたきたし、今作もそのひとつと言えるかもしれない。ただ、そこで起こる事件は現代ならではの設定となっている。格差社会、一度陥ると抜け出せない貧困ループ、昨今よく聞くSDGSや地方創生といったものの表層とその実態。(いや、本作で起こっていることだけが実態であるというわけではなく)
しかし、いつの時代も村社会という狭くて閉鎖的な人間関係の中で起こることは、それほど大きくは変わらない。人の本質というものは、時を経てもそう大きくは変化しないものなのだろう。
ただ、この映画で見せられたことは、日本の地方の田舎の村でだから起こる出来事なのだろうか。霞門村のようなコミュニティは、例えば都会には存在していないと言い切れるだろうか。藤井監督は、「霞門村は日本社会の縮図である」と公言しているらしい。
そう、この映画は地方の村社会における映画ではない。私たちが生きる身近な社会を描いた映画なのだと思う。だから見ている側をこうも不快にさせるのだ。

今作を手放しで人に見て欲しいとすすめることはいさかか難しいけれど、河村光庸の遺作と聞き得心した。本作は、重く苦しい映画なわけだが、目をそらしてはいけない気がするのだ。それを見てみたいと思う人には一見の価値がある。
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