山村を舞台にした「コミュニティに属する事」をテーマとした内容と解釈。
ある種閉鎖的ともとれる“ムラ社会”が舞台背景だが、社会生活における何かしらのコミュニティには少なからず同様のルールや閉塞感が伴う事から、それぞれの秩序と道徳のバランスで維持されている“学校”や“会社”ひいては“日本”という枠組みでも俯瞰出来る内容ではある。
コミュニティを存続させるための“必要悪”をあくまでも“一般的”な視点で告発されることにより崩れ始める登場人物たちの“居場所”については、生きている事に盲目的になり過ぎているような、劇中での“大勢の村人が面を被って行列する祭”からも示唆されるような、ある種の人間性を覆った社会生活が必要とされる現代世相と同様、「見て見ぬふり」「臭いものには蓋」を“無表情”に共有することで、“居させてもらえる”社会に生きる私たちの住む居場所を描いたものだとも言え、その“見過ごされる現実”は、幸せなシーンの裏側にも短く差し込まれる。
格差や搾取、血縁、キャンセルカルチャーなど要素が絡み合い、ネガティブな円環から抜け出せない主人公のもがく声ともとれる、表情を覆う仮面の内側から吐き出されるシューシューという呼吸音がとても切なかった。
非常にやり切れないような現代の縮図だが、それでもきっと「忘れられてしまう」という現実を引き金としたクライマックスは、もっとエンタメに振ったものでその縮図を“映画というある種の夢の中で”ブッ壊して欲しかったような気もしており、そこが個人的には残念だった。
ラストのショットの印象は視聴するタイミングで異なりそうだが、今の気分的には“諦め”にも近いカンジだった。
主要キャストの表情がまるで様々な能面のようで、それを思わす撮り方も印象的でした。
正直、村の規模感がよく分からなかったりゴミ処理場の見学ツアーやった事で取材が来たり村おこしが出来て観光客いっぱい来るとか有り得るのか……などなど、ツッコミたい部分は色々ありますが、雰囲気・画ヂカラ・キャストの“顔”が何より良かったです。