幽斎

ダークグラスの幽斎のレビュー・感想・評価

ダークグラス(2021年製作の映画)
4.0
ホラー界のレジェンド「サスペリア」Dario Argento監督が10年振りに製作した元祖にして本家の正統派ジャッロ。アップリンク京都で鑑賞。

公開日がItaly February 24, 2022、United States June 19, 2022、Japan April 7, 2023。遅いと言うより劇場公開してくれたロングライドには感謝すべきか。「ダリオ・アルジェントのドラキュラ」以来10年振りに共同脚本と監督を務める。82歳にして意気軒高なのはミステリー、スリラー専門の私には有り難いが、やはり英米のミステリーに比肩するのはイタリアのジャッロを置いて他にない。問題は作品の出来なのだが(笑)。

本作の企画は2002年と言うから作品で言えば「デス・サイト」コレも中々香ばしい作品で「ネットを使った殺人ゲーム」時代の最先端な頃のお話。私的には監督御用達のGoblinメンバーClaudio Simonettiの音楽しか記憶に無い(笑)。プロデューサーが破産、イタリアでは良く有る話で企画も曖昧模糊。その後、監督の娘で本作にも出演Asia Argento、もう48歳か完全に熟女。が、自伝を出版する際に事務所を整理すると「お父さん、この本は何よ?」と見付かり本作は再始動。イタリアって本当に家内産業なのね。

複雑な権利問題は監督の弟Claudio Argentoの担当だが、もう80歳なのでイタリアの制作会社主導で進められ、フランスの配給会社が助け舟を出す形で完成。イタリアが誇る名監督でも、ジャッロは肩身が狭く予算も小規模。イタリアの名優勢揃いには程遠く、クオリティに直結するのはファン的にも辛い(笑)。プロットは古典的なブラインド・ホラーで一世を風靡した面影には乏しい。だが、ホラーをアートの領域まで押し上げ、世界中に多くのフォロワーを輩出した監督の後継者は、生涯一位作品「SAW」James Wan監督。私の2021年ベスト一位「マリグナント 狂暴な悪夢」見れば、お分かり頂けるだろう。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」Ilenia Pastorelli主演。元ネタは私の父親世代のアニメ?、日本人なら胸熱120%の傑作アクションなので、レビューし忘れてるけど観てね(笑)。脚本が2002年なので自動的に懐古主義な娼婦の喉を切り裂く猟奇殺人。ジャッロは正確に言えばホラーでは無くミステリー、本作も基本コンポーネンツはミステリー基調。イタリアらしい「観客に見せる為の殺人」流血に代表される残酷シーンも古い言葉で言うとスタイリッシュ、其処へシンセサウンドが扇情的に折り重なる。テイストは完全に80年代、ソレをモダン・シンキングせずに描いてる。

ジャッロは正確に言えばホラーでは無くミステリー、も本来は小説のお話で、英米のミステリーの様に起承転結とか伏線回収など眼中になく、「シベ超」並みの卓袱台返しは当たり前。だから、イタリアのミステリーって警察や探偵が空気なのだ。じゃあ何が凄いのかと言えば「ムード」今風に言えばアトモスフィアが抜群にセンス良い。故に伏線の綻びとか、間延びする展開も通常運転なので観客にも大人の対応が求められる。

イタリア原題「Occhiali neri」日食眼鏡。アメリカは「Black Glasses」で公開されたのも納得。白昼のローマの街で日食が起き、人々は黒いグラス越しに太陽を見上げる。ジャッロらしいのは、日食が本編とは関係ない件(笑)。だが、日食と言う普段はミステリーで使わないプロットをモチーフにして、作品全体を不気味な雰囲気で覆うのは流石と言うかお見事。ジャッロは不吉な予兆の連鎖とも言え、ヒロインが太陽の陰に隠れる。つまり死の前兆と言うイントロダクションで、その後の残酷な展開を観客に予告するスタイルは、アメリカ映画に毒されてると逆に新鮮に映るだろう。

娼婦として生計を立てるディアナと、連続殺人鬼の犯行をクロスオーバーして描くが、監督が82歳にして成長したと思うのは、ジャッロでお座成りにされ易い人物描写を丁寧に捉えてる。ディアナはセックスワーカーのプロだが、アメリカの様なヤサグレ感は無く、客にも媚びず自立してる。と、観客を油断させて唐突にカークラッシュを挟み、再びジャッロで有る事を思い出させる。スリラーは緊張の連続と言う意味も有るので、古典的な一張一弛の付け方は流石と言うかお見事(二度目)。事故後はチャプター2へ。

事故で視力を失うのがレトリック第二段階。イタリア映画は家族的な縛りに囚われがちですが、本作は英米の様な自立した女性と言う周回遅れのプロットを懇切丁寧に描く。盲目と言うハンデはミステリー的にはテンプレですが、Asia Argentoのサポートを受け、常に前向きに明日への希望を忘れない姿は、一時でも殺人鬼の存在を忘れる(笑)。前向きなキャラクターが元気の押し売りと言う、日本人らしい僻み全開の思想は閉鎖的な島国らしいが、周囲のアドバイスに感謝しながら以前の自分と同じように振る舞う。セックスワーカーを恥じる事無く、サラッと元に戻れるのは素晴らしいと思う。

私は動物を飼った事が無いので分りませんが、犬なんてソレこそ人間側が心を開かないと懐いてくれない、盲導犬としての役目も果たせない。動物と言うミステリーには縁遠いプロットで繋ぐ事で、人としての成長も可視化する。人のアドバイスを素直に聞く事が出来るのは、家庭でも職場でも同じスキル。私は年下でも役職が下でも遠慮なく解らない事はその場で質問する。素直に聞くから周りにも助けて貰える。当たり前の好循環を今の人達は忘れてないか?。まさかジャッロで教訓を得る日が来るとは(笑)。

チャプター3でChinと言う孤児が加わる。つまり「助けて貰う側」から「助けてあげる側」へのシフトチェンジ。少年を助ける事で警察とは一定の距離を置く。コレの意味する所は「長いモノには巻かれない」イタリア人らしい反骨精神。有名な話だがトラックメーカーがスポーツカーを創ろうとした時、フェラーリに馬鹿にされて発奮したのがランボルギーニ。「カウンタック」今でもスーパーカーのレジェンドとして語り継がれる。そんな権力に依存しない精神は本作でも健在、ソレが殺人を助長する展開に持ち込むのは流石と言うかお見事(三度目)。褒めてばかりだな。

安心して下さい、褒められるのは此処まで。やっと、連続殺人鬼が本領を発揮するが、いよいよヒロインとの一騎打ち(正確には1.5対1)、ワクワクする展開と思いきや、此処から猛烈なスローダウンに突入。決して導入部で尺を取り過ぎた訳でも無く、85分と最近の映画はもっと見習え!って位に短いが、クライマックスの森の逃亡シーンが、単なる追い駆けっこにしか見えない。アメリカ映画なら様々なトラップを用意して観客を飽きさせないが、捕まれば殺されると言う緊迫感を、政治家が献金を申告せず記載漏れで済ます様に、いとも簡単に忘れる。急にスカベンジャーの超低予算映画を観る感じで全くメリハリに欠ける。「盲目」と言うプロットを此処で活かさないで如何すると、映画館で無ければ怒鳴り散らしたい(笑)。折角丁寧に創った人物描写も自ら崩壊させる悪手にしか見えない。

うーん、まぁ正当に評価するなら3.6辺りが妥当。クオリティに反し平日にも関わらずほゞ満席だったのは逆に戦慄だが(笑)。子供の頃にレンタルビデオで知った人が、まだ現役の監督として新作を創る。歳を取れば人は〇く為ると言うが、監督の感性も変遷を重ねた。以前ならスタイリッシュな映像美に拘り、美術や衣装に滅法イントネーションを付けた。逆に言えば人物は意図的に空気で、身も蓋も無い事を言えば監督は人に興味が無いと思っていた。故に本作を観て素直に驚いた。

なぜ人は歳を取ると〇く成るかと言えば、答えは簡単で一人では何も出来ないから。立場が弱く成り人の助けを借りると自然と有難味を感じ「人にも優しくしないと」と言う感情が生まれる当然の発露。だが今の老人男性は非常にキレ易い。多分だけど仕事を辞め社会との繋がりが途切れ、奥さんに愛想を尽かされアイデンティティも消失。人間も悪くないと感じる監督は、殺人鬼への執着が奈落の底へ逝った様に軽くて薄い。ソノ証拠に本作では犯人側の視点が殆ど無い。私の師匠Alfred Hitchcock監督は、犯人側の視点が秀逸で「俗流唯物論」サイコロジカルで無機質。本作からイタリアらしいサディスティックを感じないし、其処にはもう「サスペリア」の監督は居なかった。でも、ソレで良いのだ。

脚本が迷子でも犬がフォロー(笑)。独特な世界観は唯一無二、今後も創り続けて欲しい。
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