櫻

千夜、一夜の櫻のレビュー・感想・評価

千夜、一夜(2022年製作の映画)
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絶対に忘れたくなかった記憶が、少しずつ消えていく。そのなかにいる人のことを変わらず大切に思いながらも、朧げになっていく輪郭。何気ない日常の断片が、現在ではセピア色の映画のよう。他人に話しても理解してもらえないことこそ、その当人にとって最も大事にしたいことのはずで、容易くわかった気になどできない時間がきっと、登美子さんと30年前去っていった彼女の夫の間にはあった。ひとりでその時間と対峙するのは、どうしようもなく孤独なこと。せまい社会ではその孤独でさえも、可哀想とか奇異のまなざしを向けられて、しずかに抱えていられない現実。けれども、その孤独は彼女にとって大切なもので、きっと人生におけるつっかえ棒みたいなものだった。

わたしとあなたを繋ぐものは一体なんなのだろう。人と人の繋がりはそれぞれ強固なものなのだといえるだろうし、彼女が言っていたようにひどくあっけなく脆いものなのだとも思える。けしてそのどちらか一方ではない。人がこの世に生まれて死んでしまうまで、ほんとうは誰にも自分以外の誰かを縛りつけたりできないのだから。ここにいる自由とここから去る自由がどちらもあなたの胸のなかに存在していて、そのどちらかをあなたは選んだにすぎなかった。だから、彼女にも待つ自由と待たない自由があって、途方もないあいだ待つ自由を選んでいる。その自由を誰も奪ってはいけない。彼女にとって待つことは愛だった(わたしも待つ愛ができるようになりたい)。

彼女はまだ、返事のこない会話をつづけている。
櫻