都麦

ファンタスティック・プラネットの都麦のレビュー・感想・評価

3.8
大腸の病気を抱えた我、2日ぶりのすんんんごい腹痛のなか、トイレで肛門から大量の水を噴射しながら突如「あ〜ファンタスティック・プラネットみようかな」と思い立つ。ずっと興味なかったのに(作品名さえもうろ覚えだったのに)ほんまに何故?何よりもこの事実で死を覚悟した。(死なないよ)

1973年にこの映画がどうして作られたのか(二つの意味で)。頭が追いつかなかった。先の大戦が影響を与えているのだろうか。芸術の(ある意味での)純粋な姿というか、語りすぎず語らなすぎず、問題提起をして鑑賞者の思考を生み出す。こういうのは観客の知性と感性を信じていて、且つ理解してもらえないことを恐れない知識人にしかできぬことだよね。頑張ってやろうとしてもなかなかできないもの。

どうして生き物は知性を持つと殺し合うのでしょうね。『進撃の巨人』を思い出さずにはいられない巨人vs人間の構図。そして不思議な動物たちが想起させるのは『哀れなるものたち』。時代が違くとも、鬼神たちが辿り着くのは何か一つのものだったりするのでしょうかと驚く。

そしていつも自分が愛する犬やら大嫌いな虫やらにやっている狂事を知る。
作中、そこに形式的意味での人間がいるのにも関わらず、ドアール族に実質的意味での“人間”を見出し、観客に主観と客観を両立させる驚異的な手法。あっぱれ。

それにしても、こうして何十年も前から政治と芸術は共にあるのに、フェミニズムをあれほど丁寧に扱う朝ドラに対して「政治とエンタメを繋げるとは如何なるものか」などと書いてしまうライター様たちは皆なにを観てなにを考えて生きてきたのでしょうねという怒りが募る。
都麦

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