櫻イミト

ファスビンダーのケレルの櫻イミトのレビュー・感想・評価

ファスビンダーのケレル(1982年製作の映画)
4.0
37歳で急死したファスビンダー監督の遺作。監督の全作品で最も美しい映画。

常に黄昏時のオレンジ色に照らされる港町を舞台に、たくましい水兵ケレル(ブラッド・デイビス)を中心に男性同性愛の迷宮が官能的に描かれる。原作はジャン・ジュネ「ブレストの乱暴者」。

夕暮れの港町に沢山の水兵を乗せた船が到着する。港に隣接した売春宿「ホテル・フェリア・バー」では主人のノノとハード・ゲイ風な革ジャンの客がホモ話に花を咲かせている。船では、上半身をあらわにした逞しい水兵たちの作業を眺めながら船長が秘密の独白を携帯レコーダーに録音している。「私は自分の特異な欲望のために苦しんできた。この男たちの肉体を抱きしめたい衝動に駆られるのだ」。手元にはギリシャ彫刻の写真集が。「この快楽を思うだけで私の心はゆれ動き思わず熱いものがこみ上げて来て 涙がとめどなくあふれ出してくるのだ」。視線はケレルに移る。「ケレルはナルシストだ。いつも大きな鏡の前に立って、その輝くばかりの肉体を映しまるで昆虫学者さながらの細心さでおのが姿をくまなく子細に点検するという」。。。

どこか「ノストラダムスの大予言」(1974)の劇伴を連想する妖しく甘美な男声合唱が終末観を感じさせる。上記の冒頭シチュエーションのビジュアルからはケネス・アンガー監督「花火」(1947)、そして三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」(1963)を連想する(役者たちの筋肉に塗られたオイルも)。

本作の公開を前にファスビンダー監督はコカインの過剰摂取でこの世を去った。しかし本作について、死の数時間前のインタビューが残っている。
「ケレルはユートピアの草案」
「ぼくがジュネを映画化するとしたら『泥棒日記』『花のノートルダム』でもない『ケレル』しかなかった」
「ケレルのテーマはいかに人が自分を見つけるか」
「ジュネが言っているように、人は完全に自分になるために自分自身をもう一度必要とするということ」
「誰かがこの社会の底辺に赴いて、自分を新しい社会に解放できるように、あるいは自分そのものを解放できるようにしなくちゃならない」

これまでのファスビンダー監督の映画では、同性愛者は社会の中で自分の本当の姿を表わせず惨めで哀れに描いてきた。それが本作の世界では同性愛が異性愛よりも上位にあり、兄弟間の同性愛にさえ言及している。この世界で向き合うべき障害は社会ではなく自分自身なのである。

登場する主要な女性はジャンヌ・モローのみ(ファスビンダー曰く“ジャンヌは僕の映画的創造にとって女性の権化“)。女が男たちの駆け引きから除け者にされている構図はファスビンダー監督の長編デビュー作「愛は死より冷酷」(1969)と同じだが、同性への愛は秘められていた。それから13年間に40本以上を監督し、もう一度自らの原点に返り、今度は全てを解放して見せた本作は遺作にふさわしいと言える。ジャンヌ・モロー演ずる占い師は、オスカー・ワイルドの”レディング牢獄のバラッド”を歌う。「誰でも自分の愛するものを殺す」・・・ファスビンダーが愛したのは自分自身だったのだ。


※本作成立には紆余曲折を要した。プロデューサーは気難しいジュネから映画化の許諾を撮ることに成功したが、ペキンパー、ポランスキーに断られ、ファスビンダーが引き受けた

※「ミッドナイト・エクスプレス」(1978)の自慰行為も印象的だった主演のブラッド・デイヴィスは、本作の3年後にエイズと診断され10年後に41歳でドラッグ自殺した。バイ・セクシャルの噂に関しては遺族は否定しているが不明。

※ジャンヌ・モローは同じくジュネ原作の「マドモアゼル」(1966)にも出演。 

※兄ロベールと最愛の男ジルを同一役者が演じているので初見時は混同に注意。

※ファスビンダーと三島由紀夫の比較は、今後されるべきことのひとつ。
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