ニャーすけ

遠いところのニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

遠いところ(2022年製作の映画)
1.6

このレビューはネタバレを含みます

沖縄在住なので、全国公開に先駆けて鑑賞。

まず、題材とロケーションは本当に素晴らしい。
沖縄は大まかに言うと、県庁所在地である那覇市がある南部から北に行けば行くほど田舎かつ貧しくなっていくのだが、本作の舞台は中部に位置するコザ。沖縄出身でありながら、南部で生まれ育った自分も中部以北の貧困や治安の悪さはメディアや伝聞を通してしか知り得なかったが、そんな「沖縄の闇」を包み隠さず真正面から見据えた本作は、どっからどう見ても弥生顔のタレントが標準語丸出しでナンクルナイサー言ってたような、“南の楽園”というファンタジーとしての沖縄を舞台にした安易なドラマや映画とは一線を画している。作中に多出する、沖縄特有の細く入り組んだ薄暗い裏路地は『息もできない』や『チェイサー』などで見られる韓国のそれを彷彿させ、子供の貧困と女性搾取を描く本作にはぴったりな風景だった。
役者陣も、メインキャストのほとんどは県外出身者にも拘らず、皆インチキではないリアルな沖縄訛りを体得していて非常に誠意を感じたが、特に佐久間祥朗演じるDVクソヒモ野郎と、主人公アオイ(花瀬琴音)の父親役の宇野祥平の実在感が凄い。マジでいるんだよああいうクズ、沖縄にいっぱい! 実は沖縄は昔から男尊女卑が根強く、それが搾取構造として現在に至るまでずっと引き継がれてしまっていることを象徴するような、こいつらの家庭や家族に対する徹底した無関心や無責任、楽観的な利己主義は、所謂「有害な男らしさ」とはまた異なる女性蔑視の在り方。文化人類学的な理由はわからないが、やはり沖縄の「なんくるないさぁ」なメンタリティが男性優位社会の固定化に(恐らくは無意識的に)利用されている側面は想像に難くない。
そんな女性搾取の日常化を端的に示す、ヒモ夫に暴行を受けた翌日のアオイとその親友の海音(石田夢実)とのやり取りは本作の白眉。殴打されたアオイの顔面はひどく腫れ上がっていて血まみれにも拘らず、海音はその容姿を不細工だとからかい、当然のようにふたり仲良く笑いながらツーショットの自撮りをするこのシーンの悲しい歪さ。まだ10代の彼女らにとっては、DVですらも「青春の1ページ」でしかないのだ。そして、それを狂っていると教えてくれる大人は彼女たちの周りにはいないという絶望。

ここまでは大傑作なんじゃないかと思って観ていたが、物語が進むにつれ、その凡庸さがどんどん露呈しだす。
とにかく脚本が酷い。せっかくこれまで取り上げられることの少なかった沖縄の貧困をテーマに扱いながら、ヒモ男失踪→キャバ摘発→援交堕ち→児相に息子を保護される→無理心中……と展開が不良少女もののテンプレそのもの。もちろん、このようなステレオタイプを実際に経験している少女も間違いなく存在しているだろうことを疑うわけではないのだけど、その描き方に監督独自の解釈や想いが込められているとは到底思えず、「こー来たら次はこーっしょ」と脚本上の流れや段取りのためだけに書かれているようにしか見えないのが大問題。
その安易さを象徴するのが、海音の自殺にまつわる一連のシークエンス。一応、アオイの売春行為に激怒した海音が、それをシノギにしている半グレみたいな連中の事務所に押しかけてトラブったことが自殺の原因であるとは説明されるが、「トラブった」って何? アオイが「ウリ」をやることで自尊心を失って死にたがるならわかるけど、なんで海音が死ぬの? 連中に輪姦されたとか? それならそれでちゃんとそう明示するべきだし、ここの展開は本当に「友人の遺体の前で泣くアオイを撮りたい」「親友の死によって、アオイの精神をラストに向けて追い込みたい」という作り手の都合と作為しか感じられない。
そのラストにしても、アオイが夜道で自分と重なる幼い母子のみっともない姿を直視した後、児相から息子を誘拐し、入水自殺を図るのがどうしても感情的に繋がっているとは思えない。あの母子は、普通に考えたらアオイが自分のことを初めて客観視するための装置として登場させているわけだから、息子のために貧困と暴力の円環から脱出することを決意するほうが心情の変化としては自然じゃないか? 例えば、児相に侵入するところまでは良いとしても、そこで息子を誘拐して無理心中とかではなく、寝ている息子にそっと別れの言葉をかけて、自分は沖縄の貧困層らしく季節労働で新天地に向かうとか、安直な死以外の結末もいろいろとやりようがあっただろう。そのほうが「遠いところ」を彼岸に求めてしまった海音との対比にもなるし、タイトルの意図もより活きてくると思うのだが。まぁ現行のラストカットも、アオイが本当に死を選んだのか、それとも現実に立ち向かうことに思い直したのか、どちらとも取れるような演出にはなっているが、これはよくある「結末に関しては観客の皆様それぞれがお考えください」という監督の怠慢の正当化。そもそも現状まだ全然解決されていない社会問題を扱っているにも拘らず、なんとなくの芸術的イメージだけで被害少女の自死を想起させるエンディングを設定すること自体が割と不誠実なのに、そのケツすらてめぇで拭けねぇのかよと大いに呆れてしまった。

ここまで書いてきたような不満点が大きすぎて、初めに抱いた芝居やロケーションに対する好印象は鑑賞後すっかり消え去り、全体としてははっきり駄作だと自分は思った。脚本上の不備もさることながら、それ以上に(この監督、本当にこの話真剣に考えてんのか?)という疑念が湧いてしまうのが致命的。芸術映画的に引きのある「ネタ」として、それこそ“現実のアオイたち”=社会的弱者を搾取しているような、本末転倒な不快感が残る。明らかな監督の実力不足というか、それこそ是枝さんくらいの巨匠じゃないと手に負えない題材だったのかもしれない。
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