Kun

窓辺にてのKunのレビュー・感想・評価

窓辺にて(2022年製作の映画)
4.5
久しぶりの映画館で、何時ぶりかしらと記録を見返してみたら約一月ぶり。それ程にまで観たいと思える作品がなかったのはあるけれど、やはり今作は劇場にかかるその日に観たいと思っていた作品だったし、改めて劇場での素晴らしい鑑賞体験に相応しい作品だった。

今泉さんの作品で一番好きなのは『街の上で』ではあるのだが、明らかにその作品とは手法というか、やろうとしていることが違う。城定さんとのクロスオーバー作品で、新たな一面を発見できたとホクホクしていたら、今度は自分の作った脚本かつ自らの監督でまた新たな境地を切り開いているように感じた。今泉さんの作品が好きな人はある種今回は、「あれ?何かいつもと違う、、」と感じたかもしれないし、自分もそう思った。しかし、これを現代の日本映画で、今泉さんがやる意味が確かにはあった。

見所というので切り取ってしまうのは本作の語りにそぐわない部分があるだろうが、敢えて言わせてもらうと、終盤の稲垣吾郎がこれまで抱えてきた想いを中村ゆりに語るロングショットだ。『街の上で』のイハの部屋で繰り広げられる長回しと異なるのは、お互いの目線が合ってはいない、空間的にお互いの位置関係に奥行きがある。そのシーンで初めてあの夫婦が過ごしてきたある意味簡素過ぎるワンルームが全景できる。目線が合っていないので、視線に従属するような手法のカットバックで撮るのではなく、全体を水平に眺めるようなフィックスの長回しが始まる。この長回しは歴史に残るワンシーンだといっていいし、子 これを観るために映画館で観たんだと思わずにいられなかった。稲垣吾郎は僕らが思っている稲垣吾郎のまま、つまり演技をしているとは到底思えないような話し方を見せる。そして中村ゆりは、それに負けじと劣らず脚本に現れていないような、表情の変化と目線の切り方を見せていく。今泉さんの近年稀に見るその能力は良すぎる脚本とそれを自ら映画として成立させてしまう監督能力ではあるが、あのシーンは何か脚本と監督の想定を超えた化学反応があったのではないか、よーい、アクション!からカット!という声がかかるまでにその空間で及んでいたものは筆舌かつ想像に絶するのだろう。

ワンシーンワンカットの部分もあったし、全体的にショットが贅沢なほどゆったりしていてある意味家で配信をスマホの小さい画面で見ていたら評価ががらっと変わってしまう映画ではある。自分が小説を読んでいる時に、目に入った文章から情景の像をぼやぼやっと結びつけ、そこで文章から得た語りを想像のシーンで再現する、そんなプロセスを本作の中で実践してしまうことが多々あった。映画という概ね2時間半に収めなければならないフォーマットの中で、役者の身体を通して小説の言葉を語る、その中である種のフィクション(と思える出来事)がそれを別な次元に飛ばす、それでもそこには登場人物の応答がある。そういう意味では今泉さんの作風は今作にも通底している。映画に流れるような時間と空間に対して、これまでとは異なるアプローチをしていると感じたし、こういうことに脚本という一種の語りが関与できる振れ幅の大きさ、そして稲垣吾郎初め、今泉さんの作品を観続け愛してる人たちが演じる(もはや演じているようには思えないのだが)が絡むことで出来ることなのか、、。映画の可能性を感じるし、もっと映画を観たいし好きになった。
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