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にわのすなば GARDEN SANDBOXのnetfilmsのレビュー・感想・評価

にわのすなば GARDEN SANDBOX(2022年製作の映画)
4.4
 冒頭、ドアをノックしたサカグチ(カワシママリノ)の身振りに心ここに在らず状態だったタノ(柴田千紘)が反応する。何とも言えない微妙な立ち上がりは机を挟み、相対する2人のリバース・ショットにより現されるものの、2人の視線は微妙に合っていない。無職で現在休職中のサカグチに対し、目に見えた功績をやろうと大袈裟な言動でアシストしたキタガワ(新谷和輝)が彼女が建物を出て町に踏み出した瞬間にベンチから起き上がり声を掛けるのだが、それから先、サカグチとキタガワはほとんど相対することはない。2人は距離を取りながらノロノロと町を徘徊しながら、やんわりとしたコミュニケーションを交わす。その身振りはアンガールズのコントのようにどこまでも緩い。まったく声を張らない。2人はくねくねとした動きを繰り返しながら終始、ノロノロと緩やかに歩き続ける。そもそも十函という町はいったいどこにあるのか?観光PR動画などと言われても土地勘がないものからすればいきなり迷子になりかけたサカグチと同じ心境になってしまう。キタガワは僕の生まれ育った町でゆっくりしていってよなどとのたまうが、二つ返事でおいそれとじゃあとはとても言えない心境だが、彼女はこの町で迷子になり事実、この町で朝を迎えることとなる。

 緩やかな町での人々の連帯は決して有機的に絡むことはない。全ては偶然の産物でサカグチはただそこに身を任せている。そもそもあのマスコさんちを示した黒ペンで書かれた地図が心底出鱈目だから。Googleマップ片手に町を歩いてみてもテキトーな場所に辿り着き、そこで他所者の工場労働者の歓待を受ける(最後まで後ろで手を振る奇跡的なロング・ショット!!)。そしてキタガワの学生時代の恩師(遠山純生)にこの地図は古いからきっと間違っていると諭される。だがタノによる地図はやんわりとだがある種の勘所を掴んでいるようにも見える。というかただ川を渡りさえすれば良いのだがどういうわけか地元民のキタガワはそれがわからない。わかろうとしない。公園で置いてけぼりを食った後の布団の落下(あの場面には心底ギョッとした)で首をグネたサカグチを翌日に古着リメイク教室に誘うアワヅ(西山真来)も相当とち狂っているが、結果オーライでマスコさん(風祭ゆき)家に辿り着く。そこでサカグチはヨシノ(村上由規乃)に出会う。あそこで彼女たちに白いドレスを着せようとするマスコさんの判断もその後の裁断も心底とち狂っているとしか言いようがないが、ヨシノの肩に記された微かな印から再びキタガワを物語に再度呼び込む手腕は一切の隙がない。というかこの映画はいったいぜんたいどうなっているのか。

 地方創生や寂れゆく都市のPRを口実にしながら、タノの上っ面ばかりの横文字で語られる「フェス」の言葉に各々の居場所が否応なく還元されて行く。我々がカッコ付きでこう呼ぶ「フェス」とは似ても似付かぬ狂った土地のパーティは一切の演者を必要としない。キタガワによるMac BookのCueボタンでのみ始まる痙攣する世界の音は、思い思いの身振りでそれぞれが別々にステップを踏み続けるだけだ。その脱臼するかのようなキタガワの身体の内面から発せられる暴力性は、どこまでも揺蕩うサカグチと最後まで一向に交わる気配がない。地に足つかぬ男と女の永遠に交わることのない彷徨は最後まで平行線だが、ヨシノがサインペンでサカグチの腕に書いた奇妙なサインだけが共振する。中野で20時30分から呑み会があり、その前の時間にタイミング良く入れるのがポレポレ東中野の今作の上映でたまたまフラッと入ったら、あまりの暴力的な映像と理解不能な展開に思わず卒倒しかけた。終映後、監督に心底狂っているという感想をお伝えした後急いで飛び乗った総武線の列車はガラガラで、頭の中ではあの痙攣するようなノイズがずっと鳴り続けていた。年末ギリギリに駆け込んだ異端の傑作!!
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