(長すぎる感想になってしまった)
普通。若干期待値高すぎたな。もがいてる俳優たちが集ってつくり、もがいてる俳優仲間たちが鑑賞し、「最高!」となって、評価高くなってる印象(まったくそれが悪いとかではないけど)。
全然悪いとかじゃない。むしろおもろかった。けど誰かに見て欲しい俳優たちのオナニズムというかなんというか。まあ映画なんてオナニーだからそれが悪いとかでは全く無く。けど厳しい言葉を使えば、それは政治家とか会社のブランドムービーと何が違うのかはわからない。下積み時代のもがき、ドラマ、それを観てくださいって烏滸がましいなって。
久しぶりにこんなに全力で、暑苦しくてやりたいことやってて、気持ちの良い映画を観たのでそれは嬉しかった。
ただ、良くも悪くも「海老沢七海のドキュメンタリー」で、とにかく終わったとき、「おもろかったー!!」とはならなかったな。代わりに「ん…?…うん、、おぉ、、、」と。
俳優ではないけど、同じ世界を生きようとしている人間として「そうだよな」とは思う。うん、そうなんだけど。正直伝えたいこととかは、映画として観ると何が言いたいのかわかりづらかったし(海老沢さんの挨拶とポスターからしか「夢を追う全ての人へ」みたいなことは伝えられてなかったしそれだと意味はない)、あくまでもドキュメンタリーなフィクションだから良いのかもしれないけど、「金かけて、今の自分を残した」そして「その価値を、同じような人たちが讃える」。それだけの話なような。
いや、俺は全くこの映画に否定的ではないと思うし、初めて観る面白さだったんだけど、「だったら自分たちでやれば?」と思うのも事実。おれはおれのコレを『キャンバス』という名前でつくったことがあるからこそ、なんか観てて恥ずかしかった。自分の作品と世の中の作品とが続いて、「クリエイターへの過剰な賛歌映画」にはもう飽きたし辟易としているから、自分には何も響かなかった。
『キャンバス』を俺のエネルギーで作ってしまって、俺のエネルギーで今映画を続けてしまってるからこそ言いたいのは、「エネルギー」じゃ上映は“参観日”にしかならないということ。そりゃみんな褒めるよ。評価も高いわけさ。
でも、こうやって言ってるけど『キャンバス』は俺の中で一生朽ちない宝物だし、この人たちにとっても『冗談じゃないよ』はずっとそうなんだと思う。お守りなんだよな。
【追記、啓くんへのラインそのまま貼り付け】
それをわかった上で。そして「同じような俳優たちへ」じゃなくて「夢を見る全ての人へ」を目指した作品だということも理解してる上で。
その上で、やはりコレは俳優の俳優による俳優のためのオナニズムだったと思うし、だからこそ俺と作品が必要とし合っていないなと思ったかな。こんな感想つくりて達には関係ないと思うんだけどね。
コレは必要な俳優に届けば良いな、と思うし、海老沢さんのPR動画以上でも以下でもないように感じた。
こんな厳しい視点を持ちたくて持ってるわけじゃないんだけど、どうしても『キャンバス』で同じようなことを同じような立場で描いてしまったからこそ、この作品を肯定的に受け止めるには俺はまだ早いというか、余裕がないというか、『キャンバス』の悔しさをまだ忘れられてないかなー。
『キャンバス』、悔しくて。けどふじはるちゃんがうみのいえで『キャンバス』鑑賞会したとき号泣したらしくて、とても素晴らしかったって伝えてくれて
たぶん嬉しかったけど、ホント申し訳ないけど、そんなに嬉しくなかったんよ。その時が一番、誰に批判されたときよりも一番「コレじゃダメだ」って思ったんだよね。
この映画とこの映画を称える俳優にあの自分とふじはるちゃんを重ねて、その構図を思い出して、「コレじゃダメやねん」て思ったのかも。
きっと今俺が思う“映画”が、わかってくれる人に褒めてもらうためにあるものじゃないからだと思うねん。自分の「キャンバスは映画じゃない」が、そのままこの映画に投影されたんだとおもう。