記録。
この結末は、あなたの世界も変える。
ディズニースタジオ最新作となる長編アニメ第61作目。メガホンをとったのは『ベイマックス』『ラーヤと龍の王国』のドン・ホール。
まず、ディズニーの新作なのに全然話題になってないのは驚愕。いくらディズニーでも宣伝に力入れなけりゃこんなもんか。
そんな本作の物語は…
25年前にサーチャー・クレイドが父イェーガーとの冒険中に発見し、栽培・普及させた植物”パンド”。それは今や万能なエネルギー源として人々の生活に欠かせないものであるが、その力は衰え始めていた。これを解決すべく、サーチャーはかつての仲間や息子のイーサンと共に地中深部”もうひとつの世界”に旅立つが…。
イェーガー、サーチャー、イーサン。
親子三世代による冒険活劇ですが、正直前半の多くの時間は結構な退屈さを感じました。
ただ、とある真実が明かされる辺りから物語は俄然興味深いものとなっていきます。この辺のテーマは良かったのではないでしょうか。個人的には世代間の絆めいたテーマ以上に鮮烈に映りました。
※以降はややセンシティブな話題。
気になったのはやはりポリコレ。
全てがそうでは無いものの、ストーリー上の必然性が無いとってつけたものに感じてしまったからです。
“チェーホフの銃”
弾を込めた銃が登場したならば、それは発砲されなければならない。要するに、仕込まれたフックは回収されなければならないという理論。
これを引き合いに出せば、マイノリティを回収されるべきフックと捉える事自体が差別意識と言われるのかもしれません。
しかしながら価値観はそれぞれ。
例えば異性愛者の観客が、自身と異なる性的指向を持った作中のキャラクターに興味を持って相応の物語を求めるのは差別でしょうか。
”チェーホフの銃”は現実ではなくフィクションにおけるルールです。そして本作は言うまでもなくフィクションなわけですから、単なる属性付けだけではなく魅力的なエピソードとして作品に組み込んで欲しかったと思うわけなのです。
とはいえ、
それが当たり前の世界なのだからあえて語る必要は無い、という方々の意見もそれはそれで成る程と思わせられるものでした。
大事だと思うのは、
自分の意見を他者に押し付けないこと。
他者の感じた事を無闇に否定しないこと。
作品内外でそう痛感した映画でした。