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野いちごの映画のレビュー・感想・評価

野いちご(1957年製作の映画)
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「名誉学位の授与式に向かう老教授の一日を、彼の悪夢や空想、追憶などの心象風景を交えて描写した作品。(Wikipedia)

『日の名残り』カズオ・イシグロを思い出す。自分の生き方に誇りを抱いていた人間が、人生の終盤に素朴な疑問にぶつかる。

プロローグでは、イサク自身が「気難しくて、扱いにくい」男として自分を定義する。義理の娘マリアンヌはイサクを「エゴイスト」だという。

旅の途中、青年時代に婚約者を弟に奪われたこと、妻の不倫を目撃したことを思い出す。イサクの夢と現実は奇妙な符合を見せて、イサクの心を揺さぶる。

当然ながら、イサクの息子エヴァルドも家庭に絶望し、マリアンヌの妊娠を拒絶する。

ストックホルムから授与式が行われるルンドまでのドライブにおいて、イサクとマリアンヌは様々な人物に出会う。ヒッチハイカーの少女と二人のボーイフレンド。喧嘩中の夫婦。ガソリンスタンドの店主と妻。イサクの母親。

ヒッチハイカーの少女は昔の婚約者に似ている。サーラという名前も同じだ。サーラの二人のボーイフレンド、医者と神学生が「神の存在」について議論をすることで、イサクの心中の不安は高まっていく。人生の空しさを突き付けられたみたいに。

イサクは(意識的にせよ、無意識的にせよ)後悔と不安の念に襲われる。しかし、ベルイマン監督のまなざしは優しいものだ。ヒッチハイカーの少女が「医者を50年も続けるなんてすごいわ」と褒めてくれたり、花束をくれたり、ガソリンスタンドの夫妻はイサクに心からの感謝の念を示す。

結末部、名誉博士号の授与式は荘厳な形式とは対照的にイサクには空しいものに感じられる。しかし、今回の旅が終わって、イサクは変化した。召使いのシャルロッタに今朝の自分のわがままについて謝罪するのだ。全てをやり直せるわけではない。ただ、いくつになっても人間は再出発することができるのだ。
「心配事や不安なことがあった日には昔の日々を思い出す」
我々はそのようにして生きていくことができる。
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