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スマイルのJFQのネタバレレビュー・内容・結末

スマイル(2022年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

笑いは楽しいものだが、笑う要素がゼロの状況で笑うのは「怖い」。そのうえ本人に笑う意思はないのに笑わされているとすれば、輪をかけて「怖い」。

本作は、笑顔で自分の顔と首を掻っ捌いて死んだ女子大生の謎を探る女性精神科医の物語。謎を探るうち、笑顔で自殺した女子大生は同じく笑顔で自殺した大学教師の姿を目にしていたことが判明する。さらに、その大学教授も、同じく笑顔で自殺した人間を目にしていたことが判明。その人間もまた…、そして精神科医自身にも「笑顔の呪い」が…、という謎が謎を呼ぶ展開となっていく…。

確かに、笑う要素がない時の笑顔は怖い。そのうえ、それが本人の意思ではないとすればなお怖い。

けれど、実は、我々はそんな光景をすでに目にしている。例えば、今はなき?「マクドナルドのスマイル0円」。

「箸が転がってもおかしいお年ごろ」とかでなければ、ハンバーガー屋さんのカウンターに特段「笑う要素」はない。にもかかわらず店員さんはタダで微笑む。しかも、本人が笑いたいから笑うのではない。客が「笑え」と強いてくるから笑うのだった。

おそらく、あのサービスが今なくなった?のは、そこに潜む「不気味さ」に、客側も、店側も(うすうすではあれ)気づいたからではないか?

ちなみに「マックの0円スマイル」は日本が発祥だそう。欧米のマックにはそんなものは存在しないという。

だとすれば、自分は今、アメリカ映画を相手に関係ない話をしてしまったのか?いや、違うと言い張ってみる(笑)じゃあ、どういうことか?
自分が思うに、アメリカには「0円スマイル」など必要がないから、そんな仕組みが生まれなかったのだと思う。別に、彼らはスマイルなど強要しなくても、24時間テンションが高い(笑)。四六時中フリースマイルだ。

これは言ってしまえば、ハンバーガー屋だけでなく、社会全体が「笑いを強いている」からだと思う。

実際、映画には、アメリカンダイナーのネオン管のようなオープニング(文字と音)しかり、女性精神科医が立ち寄るおもちゃ屋に飾られた「家族の笑顔パッケージ」しかり、ラストの「ロリポップ♪ロリポップ♪」しかり、「陽気さを強いてくるアメリカ」というモチーフが随所に盛り込まれている。

そして、「感情労働」という言葉もあるとおり、今や、社会全体が「笑いを強いる」傾向はここ日本でも、日に日に高まっている。それは、産業の中心が製造業からサービス業に移っているからだし、単にモノを売ればいい時代から、「コト(雰囲気とか体験とか物語とか)」も売らねばモノが売れない時代となったからでもある。

「いい雰囲気」や「最高の満足体験」を売るには、店員達は「ムスっ」としていてはいけない。たえず自然な笑顔を振りまかねばならない。最近は店員が客にタメ口で親しげに話しかけてくる「友達がやってるカフェ」まで誕生している(笑)

一方、消費者に対してだけでなく、今や、生産者同士でも笑顔を振りまかねばならない状況となっている。適切に感情を管理し良好な雰囲気で協調的に仕事をするのが「デキる社員」。感情に振り回されて職場をギスギスさせるのは「残念な社員」。そのためマインドフルネスなり、アンガーマネジメントなりが流行る。

ここでは、みんな顔は笑顔だが、笑いたくなる状況が特にあるわけでもない。また自分の意志で笑顔を作っているようにみえるが、実態としては、そうしなければ「ダメの烙印」を押されるから笑顔を作っている。つまりは、何者かに強いられて笑顔を作っている。

こんな事が続けば自分は病んでいくんじゃないか?自分に笑顔を強いてくるものの影がみえるようになるんじゃないか?映画はそんな恐怖を反映しているのだと思う。

そう考えるなら、ラストに現れる「クリーチャー」は何を指していることになるのだろうか?自殺者たちに笑顔を強いてくる原因である怪物。次々と姿を変えながら、人々の内側に侵入し、心を乗っ取る怪物。
それは金-商品-金-商品…と姿を変えながら、人々の脳内を金中心に変えていき、生き続ける「資本(主義)」という「妖怪」のことじゃないだろうか、、なんてことを思う。

しかし、あの「笑顔」が撮れた時点で「勝ち」だよなあ。
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