エゴイストとは、自分勝手な人のことを言うらしい。
「それはお前のエゴだろ」とか言うけれど、そういう場合って概ね相手の持っているものを搾り取って、自分のものにしようとすることを指すように思う。
じゃあこの映画の浩輔(鈴木亮平)が果たしてエゴイストなのかってなると、ちょっと考えちゃう。
相手を助けたいって思うほどに、相手を自分色に染めていく。
与えるものが愛のはずなのに、与えるほどにエゴイズムが強くなっていくという矛盾。
つまり愛とエゴは紙一重ってことに、今さらながら気づいた。
思えば多くの男性は女性に対してお金を見せびらかして、女性が好きなように暮らすことができるように援助したがる。
けれどそれは、相手のことを思っているようでいて、自分の色に染めるための行為でもある。
自分を他人色に染めた時に何が残るのか。
そんな末路をまざまざと見せつけられた気がした。
結局のところ、浩輔はこういう愛し方しか知らない。
それは母の愛が極端に欠けていたからなのか。また別の要因があるのか。
浩輔は「自分の見るものしか信じない」と言っていた。
これはつまり、物質的なものしか信じないっていうこと。
愛情みたいな、掴みどころのない感情ではどうにも安心できず、お金とか服とか、そういう目に見えるつながりによって愛を確かめようとしていた。
自分の母にできなかった親孝行を他人の親を通じて達成しようとする。
これは愛なのか?正直どこに向かっているのかよくわからなかったし、浩輔もわからなかったんじゃないかと思う。
一般論では相手にお金を援助するという行為は、確実に相手をダメにする。でもそういう愛し方をするしかなかったんだろうな。
過去に「友達だよ」と言ってた人に裏切られたとか。
ところで浩輔は実家には何を探しに行ったんだろうか?