くまちゃん

イチケイのカラスのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

イチケイのカラス(2023年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

リーガルドラマの劇場版となれば扱う題材はおのずと限定的になる。
社会問題や環境問題、政治家の汚職や隠蔽、国家的な陰謀。

今作は一つひとつの事件が大きな事案に帰結し、複合的要因による事故であったと結論づけ、そこに大元となった村八分的な因習と誤った、もしくは行き過ぎた正義が招く悲劇を描いている。

ドラマ版では裁判官バディだった入間みちおと坂間千鶴が今作では坂間千鶴が弁護士となることで裁判官、弁護士、2人の法律家としての対比、法を司る自身が法律の限界にどう折り合いをつけ、どのように向き合っていくのか、司法制度の原初的な問題を異なった2つの視点で垣間見ることができる。

つまらなくはない。魅入ってしまう。
だがそれは入間みちおや坂間千鶴といったキャラクター性が魅力的であるためであって、決してドラマ自体が牽引している訳ではない。
法の庇護から零れ落ちた町人達が大切なものを守るため、結託し、法と対峙する。
事件の根底に隠された切ない真実。
古くは「オリエント急行の殺人」昨今では「99.9刑事専門弁護士」「沈黙のパレード」と近い内容であるため、既視感が強く驚きはない。

序盤に登場する裁判官が庵野秀明である必然性はなく遊び心だとは思うが、庵野秀明自身見た目が普通のおじさんなため、演技という技術的な部分を除けば最もリアルであり、虚構と現実の間に位置していた。

「墜ちた法律家」月本。
彼は法律はうまく利用すれば稼げるという持論から坂間千鶴と対立する。
だがこの場面は、法律に対する二律背反な一般論を交わしているに過ぎない。
また唐突な月本の死は、虚実の判別が難しく、悲劇性が乏しい。月本信吾というキャラクターの掘り下げが浅い事もその理由の一つだろう。

アパートの放火もそこまで恐怖を煽る演出はなく、気丈に振る舞う坂間千鶴が恐怖心を抱いているかどうかは全て演じる黒木華に頼る部分が大きい。そのため共感等の感情が得られにくく観客は傍観者以外の何物でもない。

入間みちおの代名詞である「職権」は冒頭で発動されたが、大きな力により、担当を外される。
坂間千鶴は入間みちおの「職権」を利用しようと目論むが空振りしてしまう。
作品の醍醐味であった「職権」に対する大喜利は面白い試みでありそれにより坂間千鶴は法律家として一歩前進できた。
だがそれは「イチケイのカラス」である必然性を放棄したにも等しい。
似たようなドラマや映画は数多く人気ジャンルなだけにオリジナリティが必要なのだ。
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