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地獄のotomisanのレビュー・感想・評価

地獄(2009年製作の映画)
4.0
 病気になるほどの芸術家で映画祭3冠のクルーゾーともなれば、その病気力でとんでもない映画が生まれるとでも思ったのだろう。また、そこで資金上限なしなんて申し出が来りゃああれもこれもと試したくもなるのだろう。
 しかし、手を付けたのが当時はやりの現代美術による風変わりな視覚と音響の効果の実験で、役者の演技と撮影とは別の話。おもしろいといえば面白いがサーカスのびっくりハウスではないか。

 それほど役者たちの仕事に不満があったのか、ヌーベルバーグだのの連中のつべこべ陰口が癇に障っていたのか、びっくり効果で唖然茫然、鼻を明かしてやろうと思ったに違いない。しかし、計画して予測を付けられる特撮ではない。
 こうした新しい試みには際限がなく、新しすぎて先例もなく、実際の映画の絵に新効果を当てはめて何がベストかなんてどう予測できようか。予測不能なこいつを生の役者の演技とその撮影に掛け合わせたときにそこで巡らすべき膨大な思考がもともと緻密な計画家である監督にはオーバーロードとなる。そして撮影の日限が定められたワンマン監督の一日24時間では足りない日常がスタッフ、役者、みなに困った事をおっ被せる様になる。

 これがクルーゾー最後の日々かと思ったら、此度の心臓発作では死ななかったのだ。それならそれで幸い。資金潤沢で映画もぽしゃればみんなもほっとしただろう。誰もクルーゾーを殺す必要もなければ、撮影をボイコットするにも至らないのだから。
 しかし、それから10年、クルーゾーはろくに仕事もしないで逝ってしまう。山ほど残った「地獄」のネタも誰が権利を持ってたのやら、40年目にやっと紐解かれる。もったいない話だがようやくかつてのクルーゾー地獄が再現されて思うのは誰も手掛けてない技術の適用を想像してその虚像に迷う様の儚さだ。多分、監督の夢見たことは今じゃコンピュータの力でやすやす叶うんだろう。
 映画もビジネスだし撮影も生ものだ。そんな生臭ものの限界を大金を得て技術で越えてやろうとわくわくしていたに違いない。もう少し健康なら、きつい言葉の突っ込める誰かがいたら、映画史の肥やしのために40年も寝かすこともなかったんだろう。
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