なんだろな
激しく主人公に同意したい気持ち
わかってもらえないだろうと思っていることは、基本人に話さない
それを話す時は
普通の話としてではなく
告白として捉えられてしまうだろうことがわかっているから
どんどんそのことは表面的にはないものとして扱われて、おしこめられた内面ではどんどんゆがんで膨れていく
まわりは
自分が理解できるパターンに
当てはめようとする
きっとその方が安心でラクなのかな?
なんだろうね
男も女も関係なく
「人として好き」というだけであっても勘違いされたり
勝手に分かったような言い方されても
なんだかなぁって思ったり
いわゆる「普通」なんて
どこにもいないのにね
別に理解してほしいなんて思わないから
ただただ放っておいてほしかったり
なんでだろうとおもっていたこと
この映画をみてなんだか
少しその原因が見えたような気がした